■まだ寝床にいたときに経験したことのない大きな揺れで目覚めました。台所や洗面台の棚からは大量に落下。テレビニュースも最初は被害の大きさを伝えきれないでいました。幸いこのあたりは大きな被害はなかったようですが、増築した建物の一部のコンクリートが落ちていたり、壁に亀裂も入りました。正確な日は忘れましたが、中国道がようやく通れるようになる前日、高速なら1時間もあれば到着する福崎の保育園へ山道を通って前泊しての出張でした。その山道だって普段ならドライブ気分で行けそうでも、その日は車両の珠々つなぎ。保育園が準備してくれた温泉宿は平常営業でした。翌日、発表会の最後の指導をしての帰路。10キロの渋滞と出てました。そこからは地道に降りるか、そのまま中国道を走るか一瞬迷いながらも10キロ程度なら大丈夫だろうと踏んだが最後、3車線の宝塚トンネルは1車線しか使えず、その手前の名塩サービスエリアからの合流も重なって、トンネルを抜けるまで5時間。震災後の初日だったから仕方ないと途中までは読書をしつつも、日が暮れるとそれもできずに堪えるのみでした。
■神戸に一年ほど住んでいたので、外部からも来ても良いとのニュースで5月の連休に行きました。住んでいた賃貸マンションは外見は無事だったようです。でも三宮まで歩くと、まだ傾いたままの建物が多くあり、平衡感覚がおかしくなるほど。3ヶ月が経過しても、復興への遠い道のりを実感しました。
■電車が動き始めると、神戸に住む友人は避難先から梅田まで出勤していましたが、その生活環境の違いに愕然としていたとか。神戸に戻ると自衛隊が設営した薄暗いテントの共同風呂に入って疲れを癒やせる程度だったと。能登半島地震での関連死はその神戸の震災時より多いとか。天候の違いもあるでしょうが、避難所の劣悪さは30年が経っても変わらない日本。やるせなさが募ります。

楽しいから好き!が合い言葉。子ども達も保護者も通いたくなる幼稚園を目指して

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