園長のこぼれ話

父の思い出

■知恵者でした。本堂で保育をするとなると、畳敷きですし、内陣の扉は豪華絢爛で、悪戯小僧達が遊ぶと、とんでもないことになるのは明白です。そこで、畳を全て上げて、その下をフローリングにしました。内陣と外陣の間にはパーテーションを鴨居に引っかける細工をして、その上から黒板も吊していました。パーテーションの上には金襴豪華な装飾の欄間が見えている不思議な保育室でした。寺院の法要がある際は、パーテーションを外し、畳を全て敷くと一夜にして本堂が完成します。小さい頃は手伝いにもならないのに、ウロウロしていました。
■普段は倹約家でした。姉と二人で円山公園で花見団子を一皿(父と三人なので3本の団子を1本ずつ)買ってくれたのは特別でした。美味しかったので二人でかなり粘ったものの、2皿目は買ってくれなかったです。
■出汁に使われました。映画が好きだったようです。ロードショーなど高くて行けなくて、3番館興行ぐらいに私を出汁にして行ってました。小学生には難しすぎる内容だから教養のためではなく、自身が行きたいからだったと推測。
■意地悪でした。他園に人形劇で行く際に、学校が休みのときはよく同伴しました。そして、園児達の前で手品をやらされたとき、父の手助けが必要なネタなのに何も反応をしてくれず、タジタジでした。その場をどう切り抜けたのか覚えていません。人を試すような行動をその後も何度か。
■父の公演について行った以外、殆ど一緒に行動した記憶がありません。イクメンさえも死語になるほど、子どもとの時間を大切にされている今のお父さん方を見ていると羨ましく思えます。幼稚園の頃、親子遠足で出かけても、私は一人で行動します。寂しかったのでしょう、昼食時、甘えている写真があります。そんな両親を2週間のヨーロッパ旅行に連れ出したのが最初で最後の親孝行でした。費用はご本人達の負担。旅程の終わり頃、「オレ、ボケ出した」と父親。普段は何もかも自分でしているのに、全て息子に仕切られて出る幕がないボヤキなのか、船頭に舵を任せた安堵感からの言葉なのかは不明でも、アテネ、ローマ、パリ、ロンドン、ミュンヘンと一生で一番長く一緒に過ごした旅行でした。

楽しいから好き!が合い言葉。子ども達も保護者も通いたくなる幼稚園を目指して

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