■最新更新日:8月19日
■7/30
昨夜到着したのはイズミール県にあるチェシュメというリゾート地から少し離れた新興のリゾート地です。早速探索にと思っても、体調が著しく芳しいとは言えない状態だからか、ジェットラグに陥ったようで、睡眠、睡眠。そこまで寝ると夜また眠れなくなるのは明白。それでも寝てしまって友人には迷惑をかけています。
写真はホテル近くの瀟洒な別荘群。
■7/31
あまり心配はかけたくないのですが、日曜日の緊急手術後、万全の体調でないし、医師の対応に満足していなかったので、友人が調べてくれていたイズミール市内の私立病院へ行きました。どのような医療体制なのか興味半分、日本の医師の不満をこちらで解決してくれるかどうかの思いもありました。最終的に内視鏡でどのような状態なのか見ることになり、そのまま別室へ。入院かと尋ねると、必要なし。まだ出血している箇所があったので処置してもらったみたいです。別室に戻るとスープのようなものと甘い果汁ゼリーのようなものが用意されていました。
医師が画像を持ってきたのも日本とは違います。また放射線治療後の副反応はとてつもなく続くとも。最後に7日間の治療薬の処方箋を書いてくれ、内視鏡治療でない方法もあると教えてくれました。明日、ネットで調べます。
海外では出産後すぐに退院させたり、抜歯をしても翌日来させるようなことはしません。日本の保険制度に問題点があるようです。
■写真はイズミール市内のカフェより。
■8/1
二日連続の医療観光?
どうも調子が上がらないのには原因があるのではと、土曜日でも診察してくれる医療機関を友人に探してもらい、昼過ぎに出かけました。就寝時に咳き込むのは先週日本で始まっていました。風邪の可能性はありそうです。医療機関で問診を受け、処方箋を書いてもらって終わりだろうと考えていましたが、カーテンで仕切られたベッドに連れて行かれ、血液検査。胃の機能を助けるための点滴、それに咳があるからでしょう胸部のレントゲンと至れり尽くせり。最初の血液検査でヘモグロビンの値が8まで下がっていたので(昨日放射線治療の副反応による止血治療を受けていることは報告済み)、再度採血して精密検査の結果では成分だけの輸血も必要と告げられるも、検査結果で、そこまで必要ないとのこと。軽い風邪の症状も見られるので、抗生物質や風邪にも利く薬3種類の処方箋をもらいました。原因が分かり、薬も入手できたので体調は回復するでしょう。それより何より気分的に楽になりました。勝手な解釈ですが、最初の胃の機能を助ける点滴は食欲増進効果もあるのでしょうか、医療機関に向かう途中に見つけた「寿司屋」にこれから行きます。
写真は採血後に点滴用に付けられた弁の数数。
■8/2
ようやくの遺跡巡り。イズミール市内にあるアゴラ遺跡は「紀元前4世紀のヘレニズム時代にアレクサンダー大王の命によって基礎が築かれました。 178年の大地震で一度崩壊しましたが、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスによって現在の規模へ頑丈に再建されました」とあります。「古代ローマ時代の巨大な市場・公共広場の跡地です。大都会の街中に突如として現れる野外博物館であり、地上に並ぶ美しい大理石の列柱や、当時の姿をリアルに留める広大な地下遺構が見どころです」
説明文はAIからのコピペですが写真は実際に撮影したものです。
■エーゲ海が最も東に入り込んだ位置にあり、古代から要所と認められていたからでしょう。倉庫としても使われていた地下は保存状態も良く迫力もありました。まだユネスコの文化遺産として登録されていないそうで、最近登録された明日香地区とはスケールの点では雲泥の差だなと、日陰でノンビリ寝ている猫達に語りかけました。
■8月3日
気温は最高でも30度ほどでも、雲ひとつない青空からの日射しはエネルギーを奪います。現在滞在中のホテルはチェシュメではなく,車で20分程度離れた所に比較的最近開発されたと思われるリゾート地です。こちらのリゾート地のホテルでは「オール・インクルーシブ」をうたう所が多くあります。3食食べ放題のバイキング付き。そしてホテルによれば年齢制限を設けているところも。最高齢ではなく、18歳未満の子ども連れはお断りなんてサイトも多くあります。長期滞在型の休暇を楽しむためのバリエーションなのでしょう。
で、話を気温に戻して。チェシュメにある16世紀にオスマン帝国が建設した要塞に行きました。近くの駐車場は満車で少し離れた所から歩くだけでクタクタ。要塞の中埜階段を昇るのも一苦労。日が陰ると急に涼しくなるので、夜間に解放してくれればと嘆き節。なお、イズミール県での入場料は一律6ユーロ、日本円で1,000円ちょっと。トルコ人は特別なパスがあれば、どこも無料。二重料金は当たり前になっています。
■8月4日
昨夜、ブログを書いた後、アランチャティの旧市街地まで食事にでかけました。
トルコの人は宵っぱりが多いようで深夜でもかなりの賑わいで、子どもすらいました。それと、外で食事をするのが好きで、確かに今の季節、昼間と違って爽やかな夜風を感じながらの食事は心地良いです。でも冬場でも外の方が賑わっています。
この辺りは16世紀までギリシャの領土だったので、建物の多くは当時のもの。一時は何の変哲もなかった旧市街地をリノベーションして集客に成功したとあります。広場では音楽が流れ、少し離れた場所にはホテルが並んでいました。テーマパークのようなと書けば雰囲気を良く分かってもらえそうでも、こちらの本物には失礼でしょう。
さあ、今夜はどこに行きましょうか?
■8月5日
予定通り、チェシュメから車で2時間弱のオズデレという小さな村にあるホテルへ。チェシュメのホテルは友人がAIで見つけたものでしたが、全てにおいてガッカリ。ウェブサイトの写真は信用できませんね。まず、メンテナンスが不十分。コンセントさえ使えないままで、初日は時計の充電ができなかったです。調度品も学生寮並みだし、オール・インクルーシブの食堂は狭くて、しかもグラスやシルバーの補充もままならない状態。と文句タラタラでオズデレのホテルに。こちらではノンビリできそうです。なお、宿泊先の写真は公開しないと決めています。あしからず。
■8月6日
訳があって、今日はこれだけです。すいません。明日しっかり書きます。
■8月7日
どうも体調が芳しくありません。チェシュメの診療所でも重篤な問題はなく、可能な処置は輸血だと言われていたので、それなら前回内視鏡治療を即してくれた病院に行きたいと友人に頼み、2時間近くかけてイズミールへ昨日行きました。私の病歴や服用している薬を尋ねてから、輸血をすることに。一晩入院しなくてはなりません。でも早速手続きをして30分ほど待ってから病室に通されました。トルコでは4人部屋など公立でも考えられません(公立の病院の治療費は無料!)。
そして通されたのがこの病室。
ホテル並み、いえチェシュメのホテルより豪快です。決して高くありません。だって日本の病院は1日いくらなので1泊すると2日分取られます。
点滴を終えてから深夜10時頃から2時間ほどかけて輸血です。この日は何も食べないで就寝。
写真は朝食です。ヘモグロビンの数値が低いのでナッツ類がついています。体調不良の原因のひとつが食欲不振。深夜の輸血だけでは回復しないようで、トマト1個とキュウリ1本、それにタマゴ、オリーブ、ナッツ類は食べました。紅茶は部屋のポットでお湯を沸かして飲みました。
驚いたのは、こちらがナースステーションに連絡するまで朝食は入り口のキッチンに置かれていたことです。いえ、それ以上に驚いたのは昼食。
朝食後、主治医さんが来て、昼食に何を食べたいかを聞いてくれたこと。もう1ヶ月ほど食欲減退で体重も減っていると伝えてあるので、しっかり食事をするのが重要だと、1ヶ月分の食欲増進薬も処方すると言ってくれてはいましたが、まさか昼食メニューをリクエストできるとは意外も意外。「日本食」と冗談を言ってからスープが欲しいと言うとトルコの伝統的なスープを用意しましょう。それにマッシュルームは好きかと尋ねられたので、好きだと答えると、マッシュルームと肉のポトフのような料理が熱々で出て来ました。この2品は完食。
この病院は100%トルコの企業集団で、トルコ全土のみならず、ヨーロッパの数カ国にも病院を持っています。名前はACIBADEM。興味があれば検索してみてください。
午後3時頃になると、おやつの西瓜が運ばれてきました、
友人が迎えに来る前にちょっと院内を歩くと、こんな病室がありました。
産婦人科の病室のようです。赤ちゃんが生まれたお祝いのデコレーションがあちこちの病室にありました。
■はい、体調は戻りました!こちらの和食チェーン店でカリフォルニアロールを食べてから、古い埠頭を改造してレストランやカフェーのある地区で涼しい夜風を満喫しました。この辺りはエーゲ海からかなり奥まっているので高浪はないようで、防波堤は見当たりません。
負け惜しみではなく、観光地に行くだけではなく、こんな景色をみながらボンヤリ紫煙を吹かすのも海外に出かけてこそです。
■8月8日
朝の目覚めは爽快で、旅行中に書き終えたい2点のうち1点は取り敢えず終えられました。ところが昼間、観光地に行くと足が思うように動きません。特にトルコ周遊旅行では定番のエフェソスは思いの他、壮大なスケールで、観光客も多く、途中まで歩くも断念。暑いんです、日没前後の公開もあるようなので、再度挑戦します。暑さにはまだ対応できないようです。
■8月9日
炎天下、殆ど歩けなかった昨日から、歩かなくても良い観光スポットを見つけてくれました。クシャダスと言う港街で、島にはオスマン帝国時代の城塞が残っていました。
■写真は3枚目の小高い丘の頂上から撮ったものです。16世紀に建設されたものなので多くの日本の城より古い歴史があります。本当なら内部まで行きたいのですが、近くに駐車場もなく、かなりの距離になりそうなので車で丘に登り、見下ろしました。
■丘の建物は下から見ると、かなり雑然と見えますが、道路は広く、整った都市の一部としか車を走らせると分かりました。比較的新しい建物が多いので、再開発でもしたのでしょうか?ヨットハーバーもあり、富裕層の多い街のようです。
■食欲不振は続いています。決してお米派ではないですが、こんなときは日本食まがいでも食べられます。なので前回と同じチェーン店で。
メニューには弁当とありました。完食はできました。理研わかめがタップリ過ぎる味噌汁もいただきました。
■AI君に尋ねると、ヘモグロビンが不足すると筋肉にも酸素を充分遅れないので歩くのが大儀になるとか。前立腺ガン治療でホルモン注射と放射線治療を選択したのが良かったのかどうか…。4月中旬に出血してから最初の内視鏡治療まで2ヶ月を要してます。放射線治療を受けた病院と内視鏡治療の病院が違うためか、アフターフォローが全然ないのも疑問です。
■8月10日
テオスという古代ギリシャの都市国家のひとつの遺跡に行きました。どれだけ歩くか分からないですが、とにかく行きました。
ゲートにいたおじさん(多分施設の人でしょう)が遺跡の全体模型を示し、かなり広範囲だと説明。全て廻れなくても良いからと少し歩き出すと、そのおじさんが友人に声をかけました。自分のバイクに乗せて案内してあげるよと。おぼつかない私の足取りを見かねてでしょう。ところがバイクには後方席の後ろに荷物入れがついているので一人では乗れません。友人に手助けしてもらって出発です。観光客は殆どいなくて手持ち無沙汰でもあったとしても、親切心は大きなお土産になりました。所々の遺跡の前で止まって写真撮影の機会さえ作ってくれました。
■夕食を食べてから海沿いのカフェに入りました。広い遊歩道をゆっくり散歩する人達はどの海岸近くでも見られる光景です。芝生の公園にしている場所も多くありました。さすが600年の帝国を築いた知恵があるのか、都市景観は実に素晴らしいです。
写真はそのときの夕焼け。
■不思議なのはこれだけ晴れているのに星が殆ど見えないこと。
■明日、イスタンブールに戻ります。写真はホテルのベランダからの一枚。
■8月11日
イズミル県からイスタンブールへ
■ホテルで昼食を摂った際は食欲もなく、無理に食べていたのですが、移動途中、急に空腹感を数ヶ月ぶりに覚え、ハンバーガーを一個食べました。夜も、和食が苦手な友人に妥協してもらって日本食の店へ。牛肉の陶板焼きと味噌汁を注文。和牛の美味しさには敵わないですが柔らかさはそこそこでした。という具合に処方してもらった薬で食欲不振は改善されたでしょうか?
■8月12日
今日も医療観光でした。脊柱管狭窄症の今後の対応を聞きたくて、イズミルで世話になった系列病院の整形に友人が予約を入れてくれました。まず、いつ頃から歩行が困難になったかなどの問診のあと、実際に廊下を少し歩かされたり、ベッドの上で足を曲げたりひねったりして痛みが出るか聞かれ、ないと答えると、今度は両手に不自由はないかと聞かれました。あるのです。いつからかキーボードが思うように打てなくなっていたのです。医師の判断、パーキンソン病。驚かなかったです。右手の違和感についてAI君に尋ねた際、パーキンソン病の可能性があると回答してきたからです。医師は早速院内の神経科医に連絡して、そちらで受診できるように手配してくれました。
■別の階に移動して、やはり歩行状態をチェックされ、眼球や舌の動きも見られ、処方箋を書きつつ、MRIの手配まで。数ヶ月前、日本でも脳のMRIを受けましたが、そのときは異常なし。キーボードが打ちにくくなっていることを伝えても、「でも打ててるのでしょ?」で終わっていました。そこのMRIではパーキンソン病まで見つけられないもののようです。
■すでに医師達の診察時間は終わる頃なので金曜日にMRIの結果を含めて今後の対応も教えてもらえそうです。取り敢えず今夜は処方された薬を2種類飲みました。変化は見えるのでしょうか?
■8月13日
友人はイスタンブール在住で、用があるからと早朝にホテルを出たので、昼食は一人で以前行ったことのあるホテル近くの和食の店へ。そう、徒歩で。昨夜初めて服用したドーパミンが効いたのか心持ち軽く歩けたような。
食事中、手持ち無沙汰に店内の片隅で立っていた女将さん風の人がデザートを食べ始めたらテーブルに来て、商社の方ですか?お一人ですか?などの定番の質問の後、話をトルコの医療について向けました。今回経験した即決のスピード感を讃えると、その方も胃が不調だったとき受診すると、じゃあ明日胃カメラ検査をしましょう、今夜は食事を摂らないようにと即決。検査だけではなく、2つほどのポリープ摘出も済ませたとか。日本だったら、急な受診もできないし、検査となると数週間後。女将さんの病院は公立とか。必要なら治療のためにこちらで滞在したいと思うようになりました。
夕食後、アジア側の高台にあるカフェへ。写真はボスポラス海峡に架かる吊り橋。何せ黒海に繋がる重要な航路なので吊り橋以外は架けられません。
■8月14日
医療観光も今日が最終日。イズミールの病院と同系列の病院はイスタンブールには何カ所もある中で、消化器科で高名な医師がいるところを友人が聞いてくれて予約を入れてくれていました。そして2日前のMRIの結果を聞く時間帯も予約してくれていました。
驚いたことに、日本では必ずある再診料もなく、消化器科も2週間前に行なった内視鏡治療の継続と捉えてか費用は発生せず、しかも帰国後日本の健康保険が補填してくれる制度のために英語の診断書を依頼しても無料。
今回何人もの医師に出会いましたが、皆、とてもフランクで、日本に行くならいつが良いかとか、入院時の医師は翌朝、覚えたての日本語で挨拶する愛嬌も見せてくれました。医師と患者の関係性が日本とはかなり違っているようです。もちろん、こちらの方が居心地が良いです。
パーキンソン病の薬の服用方法は3日目から変わるようです。この2日間に副反応が出ないかを心配しての対応だったようです。それでも不思議と歩行が楽になったようです。
消化器科はイズミールでも治療後の1週間分の薬剤を処方してもらっていました。日本では一切なし。今日の医師はイズミールでの治療データを見て、別の薬剤を3ヶ月分処方してくれました。治療そのものは上手くできているとも。高圧酸素治療は人によって、1ヶ月から2ヶ月とか。帰国後、心当たりのある病院での治療が可能ならそれにこしたことはないですが、もしダメなら…とさえ思ってしまいます。
診察後はドライブ。アジア側の高台に19世紀にエジプト人の高官の住居として建てられた宮殿に行きました。内部は見られなかったですが、庭園は綺麗に整備されていて散歩には最適でした。そう苦行ではなく、少しの距離でしたが散歩をしました。
その後、ボスポラス海峡が見渡せるレストランで夕食。
今回初めてイスタンブールでレンタカーを乗っているので今まで行かなかったところまで足を運ぶと、起伏に富んだ地形、地区ごとにいろんな顔を見せてくれるので益々都市としての魅力を発見しているし、しかも治安の良さを肌で感じます。歴史地区だけの観光なら2日もあれば充分でしょうが、本当の魅力は市民が憩いの場としている所や、道路網の整備などの都市計画の素晴らしさは600年の歴史が培ったものでしょうか?
■8月15日
アジア側の宮殿に行くと長蛇の列。有名な観光地は歴史地区だけではなく、かなりの観光客でごった返っているようです。昨日訪れた宮殿は規模が小さく、アクセスも悪いので閑散としていたのとは大違い。結局諦めてヨロス城に。
この城はビザンチン時代に建てられ、その後、ジェノバが所有したあと、オスマン帝国によって要塞として使われていたそうです。橋の向こうはすぐに黒海だとか、
足場の悪い道を歩かなくてはならなかったですが、薬のお陰か何とか往復できました。
車を走らせていると突如現れた遺跡。古代ローマ時代の水道橋。見事にまで残っています。残して4車線の道を貫通させています。
■8月16日
ホテルから少し車を走らせるだけで、またもやビザンチン時代の建造物にオスマンオスマンが塔を増築した遺跡がありました。イェディクレ要塞といい、コンスタンチノープルと呼ばれていた頃は市の中心のひとつだったようです。現在芝生で整備された箇所にも多くの建物があったようです。
その後、ボスポラス海峡の最北端の吊り橋を渡っているとそれより北方に灯台が見えたので行くことに。
大砲を備えた要塞がここにもありました。でも復元のようです。海は黒海。ソ連、ウクライナ、ブルガリアなどの船がここからボスポラス海峡を通解して地中海に向かうようです。海のいろも違い、風も強くエーゲ海とは全く異質な海です。ここもイスタンブールなのです。原生林のような地域もあれば、超近代的な高層ビルもあれば、次の写真のように沿岸数キロに亘って公園として整備されていたりと、都市としての魅力が満載で、人々も、のどかに楽しんでいるのが伝わってきます。
■8月17日
市内に沢山残っている宮殿のひとつに行くつもりが、駐車したところからダラダラの登坂。一番歩行に堪えます。入り口付近に到着するも、そこからまた昇り坂で、結局諦めて入り口に立つ塔だけを撮影して次の場所へ、
今はモスクとして使われているビザンチン時代のタイルモザイク画が残っている教会に行くつもりが、その辺りはかなり古い建物が密集していて駐車は不可能。またまた諦めて車を走らせると、とてつもなく大きい遺跡。生憎休館日で中には入れなかったですが、水道橋も近くにあることから、大規模な要塞で囲まれた居住地だったのではと想像できます。
その後、アジア側に渡って昨日通った海峡沿いの道を走りました。
広い道路も公園も全て埋め立て地だそうです。そして公園内には車道も設けれています。テニスコート、バスケットコートや狭いながらもトラックも完備した競技場もありました。写真は広々とした芝生と木立も美しい散歩道
高速道路を走っていて感心するのは中央分離帯には植樹、両脇も街路樹が植えられている箇所が多いこと。こんな凝った側壁も随所に見られます。
■8月18日
ボスポラス海峡は重要な拠点だったからでしょう、友人が歩かなくても良い箇所をドライブしてくれました。数泊メートルにも及ぶ要塞は当時は海岸線に君臨していたのでしょう。今は埋め立てで道路や公園に整備されています。公園で憩う人達は幸せそうです。
写真はドライブ前に訪れた水族館。1枚目はかなり大規模な水槽で、2枚目はアマゾンの原生林を表現していて、時折水滴が掛かるリアルさでした。アマゾンの河に生息する魚が水槽で泳いでいました。
観光は殆どできなかったですが、貴重な体験を多くした旅も明日の帰路で終わりで寸。
■8月19日
この旅行を総括すると摩訶不思議。春に計画した旅程通りには進んだものの、実態は全て予想外。でも正直興味深い体験でした。観光地巡りでは、これほどまでの貴重な体験はできなかったでしょう。トルコへは欧州から医療目的で来る人も多いとか。納得です。この治療はいくらかかると最初に説明があったり、対応のスピード感、病室の充実、どれをとっても私の知る限りトルコの方が充実していました。
病名を公表することに違和感をお持ちの方もおられるでしょう。でも、異変にはすぐに気付かれるはずです。だったらお会いする前に知ってもらっておく方が得策だと考えました。必要以上にご心配をおかけしたとしたら、帰国後、適切な治療を受けて、園長の職務を遂行することでお詫びします。
もうすぐ空港に向かいます。今日もボスポラス海峡には多くの船舶が往来しています。
■最新更新日:8月19日
■7/30
昨夜到着したのはイズミール県にあるチェシュメというリゾート地から少し離れた新興のリゾート地です。早速探索にと思っても、体調が著しく芳しいとは言えない状態だからか、ジェットラグに陥ったようで、睡眠、睡眠。そこまで寝ると夜また眠れなくなるのは明白。それでも寝てしまって友人には迷惑をかけています。
写真はホテル近くの瀟洒な別荘群。
■7/31
あまり心配はかけたくないのですが、日曜日の緊急手術後、万全の体調でないし、医師の対応に満足していなかったので、友人が調べてくれていたイズミール市内の私立病院へ行きました。どのような医療体制なのか興味半分、日本の医師の不満をこちらで解決してくれるかどうかの思いもありました。最終的に内視鏡でどのような状態なのか見ることになり、そのまま別室へ。入院かと尋ねると、必要なし。まだ出血している箇所があったので処置してもらったみたいです。別室に戻るとスープのようなものと甘い果汁ゼリーのようなものが用意されていました。
医師が画像を持ってきたのも日本とは違います。また放射線治療後の副反応はとてつもなく続くとも。最後に7日間の治療薬の処方箋を書いてくれ、内視鏡治療でない方法もあると教えてくれました。明日、ネットで調べます。
海外では出産後すぐに退院させたり、抜歯をしても翌日来させるようなことはしません。日本の保険制度に問題点があるようです。
■写真はイズミール市内のカフェより。
■8/1
二日連続の医療観光?
どうも調子が上がらないのには原因があるのではと、土曜日でも診察してくれる医療機関を友人に探してもらい、昼過ぎに出かけました。就寝時に咳き込むのは先週日本で始まっていました。風邪の可能性はありそうです。医療機関で問診を受け、処方箋を書いてもらって終わりだろうと考えていましたが、カーテンで仕切られたベッドに連れて行かれ、血液検査。胃の機能を助けるための点滴、それに咳があるからでしょう胸部のレントゲンと至れり尽くせり。最初の血液検査でヘモグロビンの値が8まで下がっていたので(昨日放射線治療の副反応による止血治療を受けていることは報告済み)、再度採血して精密検査の結果では成分だけの輸血も必要と告げられるも、検査結果で、そこまで必要ないとのこと。軽い風邪の症状も見られるので、抗生物質や風邪にも利く薬3種類の処方箋をもらいました。原因が分かり、薬も入手できたので体調は回復するでしょう。それより何より気分的に楽になりました。勝手な解釈ですが、最初の胃の機能を助ける点滴は食欲増進効果もあるのでしょうか、医療機関に向かう途中に見つけた「寿司屋」にこれから行きます。
写真は採血後に点滴用に付けられた弁の数数。
■8/2
ようやくの遺跡巡り。イズミール市内にあるアゴラ遺跡は「紀元前4世紀のヘレニズム時代にアレクサンダー大王の命によって基礎が築かれました。 178年の大地震で一度崩壊しましたが、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスによって現在の規模へ頑丈に再建されました」とあります。「古代ローマ時代の巨大な市場・公共広場の跡地です。大都会の街中に突如として現れる野外博物館であり、地上に並ぶ美しい大理石の列柱や、当時の姿をリアルに留める広大な地下遺構が見どころです」
説明文はAIからのコピペですが写真は実際に撮影したものです。
■エーゲ海が最も東に入り込んだ位置にあり、古代から要所と認められていたからでしょう。倉庫としても使われていた地下は保存状態も良く迫力もありました。まだユネスコの文化遺産として登録されていないそうで、最近登録された明日香地区とはスケールの点では雲泥の差だなと、日陰でノンビリ寝ている猫達に語りかけました。
■8月3日
気温は最高でも30度ほどでも、雲ひとつない青空からの日射しはエネルギーを奪います。現在滞在中のホテルはチェシュメではなく,車で20分程度離れた所に比較的最近開発されたと思われるリゾート地です。こちらのリゾート地のホテルでは「オール・インクルーシブ」をうたう所が多くあります。3食食べ放題のバイキング付き。そしてホテルによれば年齢制限を設けているところも。最高齢ではなく、18歳未満の子ども連れはお断りなんてサイトも多くあります。長期滞在型の休暇を楽しむためのバリエーションなのでしょう。
で、話を気温に戻して。チェシュメにある16世紀にオスマン帝国が建設した要塞に行きました。近くの駐車場は満車で少し離れた所から歩くだけでクタクタ。要塞の中埜階段を昇るのも一苦労。日が陰ると急に涼しくなるので、夜間に解放してくれればと嘆き節。なお、イズミール県での入場料は一律6ユーロ、日本円で1,000円ちょっと。トルコ人は特別なパスがあれば、どこも無料。二重料金は当たり前になっています。
■8月4日
昨夜、ブログを書いた後、アランチャティの旧市街地まで食事にでかけました。
トルコの人は宵っぱりが多いようで深夜でもかなりの賑わいで、子どもすらいました。それと、外で食事をするのが好きで、確かに今の季節、昼間と違って爽やかな夜風を感じながらの食事は心地良いです。でも冬場でも外の方が賑わっています。
この辺りは16世紀までギリシャの領土だったので、建物の多くは当時のもの。一時は何の変哲もなかった旧市街地をリノベーションして集客に成功したとあります。広場では音楽が流れ、少し離れた場所にはホテルが並んでいました。テーマパークのようなと書けば雰囲気を良く分かってもらえそうでも、こちらの本物には失礼でしょう。
さあ、今夜はどこに行きましょうか?
■8月5日
予定通り、チェシュメから車で2時間弱のオズデレという小さな村にあるホテルへ。チェシュメのホテルは友人がAIで見つけたものでしたが、全てにおいてガッカリ。ウェブサイトの写真は信用できませんね。まず、メンテナンスが不十分。コンセントさえ使えないままで、初日は時計の充電ができなかったです。調度品も学生寮並みだし、オール・インクルーシブの食堂は狭くて、しかもグラスやシルバーの補充もままならない状態。と文句タラタラでオズデレのホテルに。こちらではノンビリできそうです。なお、宿泊先の写真は公開しないと決めています。あしからず。
■8月6日
訳があって、今日はこれだけです。すいません。明日しっかり書きます。
■8月7日
どうも体調が芳しくありません。チェシュメの診療所でも重篤な問題はなく、可能な処置は輸血だと言われていたので、それなら前回内視鏡治療を即してくれた病院に行きたいと友人に頼み、2時間近くかけてイズミールへ昨日行きました。私の病歴や服用している薬を尋ねてから、輸血をすることに。一晩入院しなくてはなりません。でも早速手続きをして30分ほど待ってから病室に通されました。トルコでは4人部屋など公立でも考えられません(公立の病院の治療費は無料!)。
そして通されたのがこの病室。
ホテル並み、いえチェシュメのホテルより豪快です。決して高くありません。だって日本の病院は1日いくらなので1泊すると2日分取られます。
点滴を終えてから深夜10時頃から2時間ほどかけて輸血です。この日は何も食べないで就寝。
写真は朝食です。ヘモグロビンの数値が低いのでナッツ類がついています。体調不良の原因のひとつが食欲不振。深夜の輸血だけでは回復しないようで、トマト1個とキュウリ1本、それにタマゴ、オリーブ、ナッツ類は食べました。紅茶は部屋のポットでお湯を沸かして飲みました。
驚いたのは、こちらがナースステーションに連絡するまで朝食は入り口のキッチンに置かれていたことです。いえ、それ以上に驚いたのは昼食。
朝食後、主治医さんが来て、昼食に何を食べたいかを聞いてくれたこと。もう1ヶ月ほど食欲減退で体重も減っていると伝えてあるので、しっかり食事をするのが重要だと、1ヶ月分の食欲増進薬も処方すると言ってくれてはいましたが、まさか昼食メニューをリクエストできるとは意外も意外。「日本食」と冗談を言ってからスープが欲しいと言うとトルコの伝統的なスープを用意しましょう。それにマッシュルームは好きかと尋ねられたので、好きだと答えると、マッシュルームと肉のポトフのような料理が熱々で出て来ました。この2品は完食。
この病院は100%トルコの企業集団で、トルコ全土のみならず、ヨーロッパの数カ国にも病院を持っています。名前はACIBADEM。興味があれば検索してみてください。
午後3時頃になると、おやつの西瓜が運ばれてきました、
友人が迎えに来る前にちょっと院内を歩くと、こんな病室がありました。
産婦人科の病室のようです。赤ちゃんが生まれたお祝いのデコレーションがあちこちの病室にありました。
■はい、体調は戻りました!こちらの和食チェーン店でカリフォルニアロールを食べてから、古い埠頭を改造してレストランやカフェーのある地区で涼しい夜風を満喫しました。この辺りはエーゲ海からかなり奥まっているので高浪はないようで、防波堤は見当たりません。
負け惜しみではなく、観光地に行くだけではなく、こんな景色をみながらボンヤリ紫煙を吹かすのも海外に出かけてこそです。
■8月8日
朝の目覚めは爽快で、旅行中に書き終えたい2点のうち1点は取り敢えず終えられました。ところが昼間、観光地に行くと足が思うように動きません。特にトルコ周遊旅行では定番のエフェソスは思いの他、壮大なスケールで、観光客も多く、途中まで歩くも断念。暑いんです、日没前後の公開もあるようなので、再度挑戦します。暑さにはまだ対応できないようです。
■8月9日
炎天下、殆ど歩けなかった昨日から、歩かなくても良い観光スポットを見つけてくれました。クシャダスと言う港街で、島にはオスマン帝国時代の城塞が残っていました。
■写真は3枚目の小高い丘の頂上から撮ったものです。16世紀に建設されたものなので多くの日本の城より古い歴史があります。本当なら内部まで行きたいのですが、近くに駐車場もなく、かなりの距離になりそうなので車で丘に登り、見下ろしました。
■丘の建物は下から見ると、かなり雑然と見えますが、道路は広く、整った都市の一部としか車を走らせると分かりました。比較的新しい建物が多いので、再開発でもしたのでしょうか?ヨットハーバーもあり、富裕層の多い街のようです。
■食欲不振は続いています。決してお米派ではないですが、こんなときは日本食まがいでも食べられます。なので前回と同じチェーン店で。
メニューには弁当とありました。完食はできました。理研わかめがタップリ過ぎる味噌汁もいただきました。
■AI君に尋ねると、ヘモグロビンが不足すると筋肉にも酸素を充分遅れないので歩くのが大儀になるとか。前立腺ガン治療でホルモン注射と放射線治療を選択したのが良かったのかどうか…。4月中旬に出血してから最初の内視鏡治療まで2ヶ月を要してます。放射線治療を受けた病院と内視鏡治療の病院が違うためか、アフターフォローが全然ないのも疑問です。
■8月10日
テオスという古代ギリシャの都市国家のひとつの遺跡に行きました。どれだけ歩くか分からないですが、とにかく行きました。
ゲートにいたおじさん(多分施設の人でしょう)が遺跡の全体模型を示し、かなり広範囲だと説明。全て廻れなくても良いからと少し歩き出すと、そのおじさんが友人に声をかけました。自分のバイクに乗せて案内してあげるよと。おぼつかない私の足取りを見かねてでしょう。ところがバイクには後方席の後ろに荷物入れがついているので一人では乗れません。友人に手助けしてもらって出発です。観光客は殆どいなくて手持ち無沙汰でもあったとしても、親切心は大きなお土産になりました。所々の遺跡の前で止まって写真撮影の機会さえ作ってくれました。
■夕食を食べてから海沿いのカフェに入りました。広い遊歩道をゆっくり散歩する人達はどの海岸近くでも見られる光景です。芝生の公園にしている場所も多くありました。さすが600年の帝国を築いた知恵があるのか、都市景観は実に素晴らしいです。
写真はそのときの夕焼け。
■不思議なのはこれだけ晴れているのに星が殆ど見えないこと。
■明日、イスタンブールに戻ります。写真はホテルのベランダからの一枚。
■8月11日
イズミル県からイスタンブールへ
■ホテルで昼食を摂った際は食欲もなく、無理に食べていたのですが、移動途中、急に空腹感を数ヶ月ぶりに覚え、ハンバーガーを一個食べました。夜も、和食が苦手な友人に妥協してもらって日本食の店へ。牛肉の陶板焼きと味噌汁を注文。和牛の美味しさには敵わないですが柔らかさはそこそこでした。という具合に処方してもらった薬で食欲不振は改善されたでしょうか?
■8月12日
今日も医療観光でした。脊柱管狭窄症の今後の対応を聞きたくて、イズミルで世話になった系列病院の整形に友人が予約を入れてくれました。まず、いつ頃から歩行が困難になったかなどの問診のあと、実際に廊下を少し歩かされたり、ベッドの上で足を曲げたりひねったりして痛みが出るか聞かれ、ないと答えると、今度は両手に不自由はないかと聞かれました。あるのです。いつからかキーボードが思うように打てなくなっていたのです。医師の判断、パーキンソン病。驚かなかったです。右手の違和感についてAI君に尋ねた際、パーキンソン病の可能性があると回答してきたからです。医師は早速院内の神経科医に連絡して、そちらで受診できるように手配してくれました。
■別の階に移動して、やはり歩行状態をチェックされ、眼球や舌の動きも見られ、処方箋を書きつつ、MRIの手配まで。数ヶ月前、日本でも脳のMRIを受けましたが、そのときは異常なし。キーボードが打ちにくくなっていることを伝えても、「でも打ててるのでしょ?」で終わっていました。そこのMRIではパーキンソン病まで見つけられないもののようです。
■すでに医師達の診察時間は終わる頃なので金曜日にMRIの結果を含めて今後の対応も教えてもらえそうです。取り敢えず今夜は処方された薬を2種類飲みました。変化は見えるのでしょうか?
■8月13日
友人はイスタンブール在住で、用があるからと早朝にホテルを出たので、昼食は一人で以前行ったことのあるホテル近くの和食の店へ。そう、徒歩で。昨夜初めて服用したドーパミンが効いたのか心持ち軽く歩けたような。
食事中、手持ち無沙汰に店内の片隅で立っていた女将さん風の人がデザートを食べ始めたらテーブルに来て、商社の方ですか?お一人ですか?などの定番の質問の後、話をトルコの医療について向けました。今回経験した即決のスピード感を讃えると、その方も胃が不調だったとき受診すると、じゃあ明日胃カメラ検査をしましょう、今夜は食事を摂らないようにと即決。検査だけではなく、2つほどのポリープ摘出も済ませたとか。日本だったら、急な受診もできないし、検査となると数週間後。女将さんの病院は公立とか。必要なら治療のためにこちらで滞在したいと思うようになりました。
夕食後、アジア側の高台にあるカフェへ。写真はボスポラス海峡に架かる吊り橋。何せ黒海に繋がる重要な航路なので吊り橋以外は架けられません。
■8月14日
医療観光も今日が最終日。イズミールの病院と同系列の病院はイスタンブールには何カ所もある中で、消化器科で高名な医師がいるところを友人が聞いてくれて予約を入れてくれていました。そして2日前のMRIの結果を聞く時間帯も予約してくれていました。
驚いたことに、日本では必ずある再診料もなく、消化器科も2週間前に行なった内視鏡治療の継続と捉えてか費用は発生せず、しかも帰国後日本の健康保険が補填してくれる制度のために英語の診断書を依頼しても無料。
今回何人もの医師に出会いましたが、皆、とてもフランクで、日本に行くならいつが良いかとか、入院時の医師は翌朝、覚えたての日本語で挨拶する愛嬌も見せてくれました。医師と患者の関係性が日本とはかなり違っているようです。もちろん、こちらの方が居心地が良いです。
パーキンソン病の薬の服用方法は3日目から変わるようです。この2日間に副反応が出ないかを心配しての対応だったようです。それでも不思議と歩行が楽になったようです。
消化器科はイズミールでも治療後の1週間分の薬剤を処方してもらっていました。日本では一切なし。今日の医師はイズミールでの治療データを見て、別の薬剤を3ヶ月分処方してくれました。治療そのものは上手くできているとも。高圧酸素治療は人によって、1ヶ月から2ヶ月とか。帰国後、心当たりのある病院での治療が可能ならそれにこしたことはないですが、もしダメなら…とさえ思ってしまいます。
診察後はドライブ。アジア側の高台に19世紀にエジプト人の高官の住居として建てられた宮殿に行きました。内部は見られなかったですが、庭園は綺麗に整備されていて散歩には最適でした。そう苦行ではなく、少しの距離でしたが散歩をしました。
その後、ボスポラス海峡が見渡せるレストランで夕食。
今回初めてイスタンブールでレンタカーを乗っているので今まで行かなかったところまで足を運ぶと、起伏に富んだ地形、地区ごとにいろんな顔を見せてくれるので益々都市としての魅力を発見しているし、しかも治安の良さを肌で感じます。歴史地区だけの観光なら2日もあれば充分でしょうが、本当の魅力は市民が憩いの場としている所や、道路網の整備などの都市計画の素晴らしさは600年の歴史が培ったものでしょうか?
■8月15日
アジア側の宮殿に行くと長蛇の列。有名な観光地は歴史地区だけではなく、かなりの観光客でごった返っているようです。昨日訪れた宮殿は規模が小さく、アクセスも悪いので閑散としていたのとは大違い。結局諦めてヨロス城に。
この城はビザンチン時代に建てられ、その後、ジェノバが所有したあと、オスマン帝国によって要塞として使われていたそうです。橋の向こうはすぐに黒海だとか、
足場の悪い道を歩かなくてはならなかったですが、薬のお陰か何とか往復できました。
車を走らせていると突如現れた遺跡。古代ローマ時代の水道橋。見事にまで残っています。残して4車線の道を貫通させています。
■8月16日
ホテルから少し車を走らせるだけで、またもやビザンチン時代の建造物にオスマンオスマンが塔を増築した遺跡がありました。イェディクレ要塞といい、コンスタンチノープルと呼ばれていた頃は市の中心のひとつだったようです。現在芝生で整備された箇所にも多くの建物があったようです。
その後、ボスポラス海峡の最北端の吊り橋を渡っているとそれより北方に灯台が見えたので行くことに。
大砲を備えた要塞がここにもありました。でも復元のようです。海は黒海。ソ連、ウクライナ、ブルガリアなどの船がここからボスポラス海峡を通解して地中海に向かうようです。海のいろも違い、風も強くエーゲ海とは全く異質な海です。ここもイスタンブールなのです。原生林のような地域もあれば、超近代的な高層ビルもあれば、次の写真のように沿岸数キロに亘って公園として整備されていたりと、都市としての魅力が満載で、人々も、のどかに楽しんでいるのが伝わってきます。
■8月17日
市内に沢山残っている宮殿のひとつに行くつもりが、駐車したところからダラダラの登坂。一番歩行に堪えます。入り口付近に到着するも、そこからまた昇り坂で、結局諦めて入り口に立つ塔だけを撮影して次の場所へ、
今はモスクとして使われているビザンチン時代のタイルモザイク画が残っている教会に行くつもりが、その辺りはかなり古い建物が密集していて駐車は不可能。またまた諦めて車を走らせると、とてつもなく大きい遺跡。生憎休館日で中には入れなかったですが、水道橋も近くにあることから、大規模な要塞で囲まれた居住地だったのではと想像できます。
その後、アジア側に渡って昨日通った海峡沿いの道を走りました。
広い道路も公園も全て埋め立て地だそうです。そして公園内には車道も設けれています。テニスコート、バスケットコートや狭いながらもトラックも完備した競技場もありました。写真は広々とした芝生と木立も美しい散歩道
高速道路を走っていて感心するのは中央分離帯には植樹、両脇も街路樹が植えられている箇所が多いこと。こんな凝った側壁も随所に見られます。
■8月18日
ボスポラス海峡は重要な拠点だったからでしょう、友人が歩かなくても良い箇所をドライブしてくれました。数泊メートルにも及ぶ要塞は当時は海岸線に君臨していたのでしょう。今は埋め立てで道路や公園に整備されています。公園で憩う人達は幸せそうです。
写真はドライブ前に訪れた水族館。1枚目はかなり大規模な水槽で、2枚目はアマゾンの原生林を表現していて、時折水滴が掛かるリアルさでした。アマゾンの河に生息する魚が水槽で泳いでいました。
観光は殆どできなかったですが、貴重な体験を多くした旅も明日の帰路で終わりで寸。
■8月19日
この旅行を総括すると摩訶不思議。春に計画した旅程通りには進んだものの、実態は全て予想外。でも正直興味深い体験でした。観光地巡りでは、これほどまでの貴重な体験はできなかったでしょう。トルコへは欧州から医療目的で来る人も多いとか。納得です。この治療はいくらかかると最初に説明があったり、対応のスピード感、病室の充実、どれをとっても私の知る限りトルコの方が充実していました。
病名を公表することに違和感をお持ちの方もおられるでしょう。でも、異変にはすぐに気付かれるはずです。だったらお会いする前に知ってもらっておく方が得策だと考えました。必要以上にご心配をおかけしたとしたら、帰国後、適切な治療を受けて、園長の職務を遂行することでお詫びします。
もうすぐ空港に向かいます。今日もボスポラス海峡には多くの船舶が往来しています。