■2025,8,20(水)
間もなくホテルを出て空港に向かい、深夜便で帰国します。
イスタンブールは東京よりも人口が多い大都市だから喧噪はかなりですが、東京のような混雑は感じられません。まあ、今回は観光客でごった返している旧市街には出向かず殆どホテルにいたからでしょうが…。涼しいです。現在23度。
ネットニュースで、政府は防衛用のドローンをトルコから輸入するとありました。トルコとの関係が一層密になりそうですね。万博のトルコ館にはとても失望しましが。
今日でこのページは終わって、普段通りのこぼれ話のページに戻ります。お付き合いくださり、ありがとうございました。
■2025.8.19(火)
ホテルから20分ほどのダラマン空港は建設途中であってもかなりの規模になりそうです。ボドルム空港もそのうち建て替えるのでしょう。
トルコのインフレ率は30%を超えていて、経済的には必ずして芳しくないようでも、訪れた町を繋ぐ高速道路はとても良く整備されているし、拡張工事なども進んでいるようです。勿論、広い領土の一部しか見ていないし、政府も観光を経済のひとつとして、特に地中海沿岸地区を後押ししているとしても、活気、活力のある国との印象を受けました。
実質今夜が最後です。大阪はまだまだ猛暑日が続くようです。北海道の園長先生から到着時間の問い合わせメールがあったり、一部のクラスのエアコンが故障したようだとのメールが届いたりで、そろそろ日常への切り替えをしないといけません。
■2025.8.18(月)
まずは昨日の話から。
マルマリスという港町に行き、そこで復元された城を見学。その後、旧市内を散策。でも暑い!だったらと車で遠出を決めました。マルマリスが付け根だとするとそこからエーゲ海に向かって矢じりのような半島が出ています。その先端にあるのがクニドスと呼ばれているギリシャの古代都市国家のひとつの遺跡があります。途中からなかり道が狭くなり、遂に行き止まりの駐車場。止める場所もなく、迷っている間も次々と車が到着。新たに作られたような駐車場に止めて少し歩くと、折りたたみ椅子やカメラの三脚を持った人も。そうだったんです。特にその時間を狙って来たのではないのに、他の大勢の人達はこの時間のために椅子やワイングラスまで持ってはるばる来ているのでした。エーゲ海に沈む夕日。ビデオマッピングでもない、この古代都市国家の時代から日々繰り広げられている悠久の時間を見るためだったのです。遺跡と夕日をバックにポートレートのような撮影をしているカップルも。偶然でしたが、この旅行で一番心に焼き付いたシーンでした。
落陽後の闇は早く訪れます。閉門時間前の午後8時30分前から係員が笛で知らせていました。その頃は夕食も運ばれて来ていて、帰りの道程3時間に備えました。
そして今日がここでの滞在最終日。先日訪れたリュキア人の遺跡、ルトーンの側にそれよりも保存状態が良くて規模の大きい遺跡があるのを知り、訪れました。クサントスと呼ばれていてルトーンと合わせて世界遺産に登録されています。しかしここでも貴重な品は大英博物館にあるらしいですが、発掘品がその辺に散らばっているのです。言葉は悪いものの、これだけ遺跡がゴロゴロ出たのでは保管場所さえままならないのでしょう。大理石の円柱の一部なども無造作に放置されています。
風景も瀬戸内海に似ているところもあるものの、地中海の規模には敵わないように、歴史の重みも比較になりません。今回訪れた場所を整理して、ローマやギリシャ以外の視点の本を読んでみたくなりました。
暑かったです。できることなら冬場でも18度前後の頃に訪れたいですが、その頃は時間的に制限されてしまうし、歩行もかなり困難になっているので、どれだけ訪問できるかは疑問ですが、想像以上に、計画していた以上に壮大な歴史を感じさせてくれた旅でした。
現代のトルコに関しても、素晴らしく整備された道路網、圧倒的なスケールで迫る自然など、益々トルコのトリコになってしまったようです。
明日の便でイスタンブールに戻り、一晩ゆっくりします。
■2025.8.17(日)
遠出をし過ぎてホテルに戻ったのが深夜。なので、今夜はこれにて失礼します。
■2025.8.16(土)
現在滞在中のホテルはアメリカ系で、とても規模が大きく、家族旅行に打って付けでしょう、朝食会場でも殆どが家族連れ。しかも、朝食だけではなく、昼食も夕食もバイキングでなら宿泊料金に含まれているから、ホテルから一歩も出なくても休暇が楽しめます。中華、イタリアン、日本の鉄板焼きまであって、これらのレストランを利用すると別料金を取られる仕組み。事情が分からないで予約をしたけど、私にはちょっと場違い。職場を思い出してしまいます。でも子ども達には天国でしょう。普段禁止されているような食べ物がドッサリ並べられているのですから。
日本のサイトにシミットというベーグルの形状に似たパンが美味しいとあり、今朝の会場で見つけて食しました。ベーグルのように固くなく、蜂蜜に浸けているからか甘みもあってとても美味しかったです。
さて朝食後、すぐに出かけずにホテル内にあるトルコ風呂、ハマムに入り、マッサージを受けました。長距離ドライブはお休み。暑さの盛りが過ぎる頃にイズトゥズビーチに出かけました。とても繊細な砂浜が続いていて、海風が心地良かったです。ブルーラグーンは殆ど風を感じなかったのと違い、ここは時折突風も吹き、ビニールのパラスルが飛ばされたり、骨を折られていました。有料のデッキ用のパラソルは籐を編んだもの。先人の知恵だったようです。藤製なら風をはらまいのでビクともしません。
この海岸、ウミガメの産卵場所で午後8時以降は立ち入り禁止になっているとか。だからでしょうか、ゴミをゴミ箱に捨てて帰るのが当然のように振る舞っていました。
海から100メートルほどに淡水の湖があります。両方を撮影できるスポットが分からないのでネットで見つけた写真をアップします。
■2025.8.15(金)
14世紀頃に建てられたギリシャ人の村、カラキョイが1923年のギリシャ、トルコ戦争の終結時に行なわれたトルコ人とギリシャ人の人口交換協定によって村人はすべてギリシャに送還。その数1万人というから村と言うよりちょっとした町。学校、病院、教会もあったのが1923年に廃墟となり、その後の地震などの自然災害でゴーストタウン化している所に行きました。例によって急斜面に建てられています。暑さと何世紀に亘って人々が上り下りした石段は滑りやすく、ほんの一部しか見られなかったのが残念でした。私の僅かな写真よりこちらで全貌がご覧になれます。
その後はリュキア人の聖域だったルトーンという町へ。ギリシャに征服される前の紀元前6世紀頃の遺跡も残ってるとか。その後ローマ帝国の属州になったのは昨日のトロスと同じです。こちらにも立派な円形劇場が残っていました。アポロンの神殿の一部や、東ローマ帝国時代の教会などの一部も復元されていたし、未だに一部では発掘が続いていて立ち入り禁止。ところが発掘された建物の一部は無造作に置かれているだけです。古代ローマの石材に座って休みもしました。日本では考えられません。
違う道で帰路にと選んだのが、かなりの難所。そそり立つ岩山の迫力に圧倒されました。すれ違うのも難しく、ヘアピンカーブに急斜面。しかもガードレールなし。ようやく2車線の道に出ると、そこはブルーラグーンが見下ろせる場所。海水の色が入り江だけ明るい青に変わっているのが肉眼ではハッキリ見えました。
■2025.8.14(木)
フェティエ周辺には遺跡が多く残っていて現在も考古学者が多く訪れ、発掘作業が進められているようです。今日はそのひとつのトロスという古代都市の遺跡に行きました。あまり歩くようなら途中で諦めるつもりが、車のままいくつかは見られたのはラッキーでした。いえいえ、車外の気温は43度。写真を撮るのに出るだけでも目がくらみそうな暑さです。
ネットで得た知識。今から4,000年ほど前にリキュア人か建設した都市で、その後ローマ帝国の属州となり、遺跡にもローマ時代に建設されたものもありました。小高い丘の上にはアクアポリスがあり、かなり保存状態も良いとのことでも、40度超えでは絶対に無理なので遠くから眺めました。
切り立った崖にはリキュア人の手による洞窟墓が時代の風化にも堪えて残されていました。訪れる人も少なく見応えのある遺跡でした。修復作業も行なわれているようです。
その後、ブルーラグーンと呼ばれているビーチへ。途中、事故渋滞に巻き込まれるは、基本駐車禁止区域のない国だからすれ違いも難し場所でも平気で止めてあったりで、空中からの写真のような美しさはあまり感じられませんでした。
日本のように海岸線近くまで山が迫っている地形も利用して、観光用のハングライダーが沢山飛んでいました。ラグーンの全容を見るには絶好でしょうけど、たとえ操縦者同伴でも、この年ではね。
■2025.8.13(水)
ボドルムからフェティエまで約3時間。ここでこちらの道路事情についてお伝えします。
高速道路はすべて無料です。と言うより、生活道路で制限時速が110kmのが高速道路と捉えるべきでしょう。だからインターチェンジもありません。道路脇にはガソリンスタンドがあり、屋台の物品販売店もあります。信号機も時々あります。これは東南アジアの雲隠れ先の国と同じです。幹線道路でとてもよく整備されています。でも所々の工事で車線が減少していても、コーンが置かれているだけで警備員はいません。
スピード違反を取り締まるカメラはやたら目につきます。でも設置場所近くには分かりやすいマークがいくつもあるし、カメラの設置場所は分かりやすいところなのでレーダー探知器を装備する必要はなさそうです。ドライバーの運転マナーも良さそうです。少なくとも日本で時折見る無謀な車には出会っていません。
もうひとつ興味深い道路事情は、交差点の多くは信号ではなくロータリー。譲り合い精神がなかったら成り立たないシステムです。
元々親日国だからでしょうか、それとも600年のオスマン帝国そのものが他民族国家だったからでしょうか、人種的偏見は全く感じません。元々島国根性の強い日本人が日本人ファーストなんて叫んでいては国際社会に通じない国民になってしまいそうです。
■2025.8.12(火)
処方してもらった薬を服用すると、今朝はすっかり良くなりました。残りは貴重な自分用の土産になります。
暑いのでドライブ中心。ただ、前回見逃した水中博物館に再度挑戦。紀元前4世紀の木造船の一部が原型通りにパズルのようにはめ込まれていました。展示されているのは一部ですが、青銅器時代の剣や時代の確認はし忘れましたがガラス器等が展示されていました。前回よりかなりの人。気温は2,3度程度低いだけでも人の行動に違いを産むのでしょうか、それとも単なる偶然?
浜風が心地良いレストランで遅いランチを食べたあと、比較的最近発掘されたペダサの古代都市に。入場無料。人も殆ど来ない穴場と言えば穴場?一応整備はされていますが建物の土台部分だけが山肌に散在している程度で、見張りの塔の一部だけが復元されていました。
写真はいろいろ撮りました。下手ですがアルバムに載せました。
この国にはコンビニはありませんが、ガソリンスタンドには必ずコンビニ風の店があります。その店内を撮っていると、棚に「カリフォルニアロール」と「ONIGIRI」が並んで置かれていました。1個360円ほど。どの程度売れるのかは店員さんに尋ねはしませんでした。
明日はフェティエに移動します。
■2025.8.11(月)
今日は旅行記とは言えない内容、でも旅行中ならではの話。
2日ほど前から歯茎に違和感がありました。その原因となる歯は曰わく因縁の歯で、治療中の仮歯が何度も外れていました。しかも何故か東京出張から戻っての日曜日に外れるのだから、豊中市の休日診療所に何度世話になってたいたか。新しい歯医者さんはしっかり止めてくださいましたが、根っこがダメになっているので痛みが出るようなら抜いた方が良いと言われていました、その歯が痛み出したのです。ネットで調べて電話をすると午後からならと予約。
まずレントゲン室に入れられました。口頭での説明より写真で見たら一目同然だから、これは合理的。その後、治療室に案内されると、根っこがダメになっているのは左右の2本も、合計3本だと。でも旅行中に3本も、しかも下顎の中央が歯抜けになるのは忍びがたい。医師も当然と、痛み止めと化膿止めの処方箋を書くので2、3日服用すると治まるだろうとのこと。礼を言って支払いを済ませようとすると、何と要らないとの返事。信じがたいです。特別な医療システムがあるのでしょうか?政府の病院では医療費はタダとも聞いています。それに準じてなのでしょうか?ただ、パスポートは必要で携帯していなかったので写真を後から送りました。
日本では信じられないですね。結局処方箋を書くだけだから材料費等の費用が発生しないからでしょうか?
そんな訳で今日はまだ1枚も写真を撮っていません。夕食に出かける際に撮れたらアップします。
月曜日なので、園から写真が送られてくるはずなのにと、昭和人はやたら変更になったり増えたりの祝日を把握していないようです。山の日なんですね、今日は。
■2025.8.10(日)
ボドルムの中心地にまた戻って、元々は島だったところに1400年頃に建造された聖ペトロ城に行きました。昨日は昼食を摂るのがメインで、しかもその暑さに閉口して逃げるように車に乗ったので、その暑さで城に登る勇気も元気もなかったために再挑戦。やはり暑いです。古い建物を利用して所々にある展示場はクーラーが設置してあってそこで休んでほぼ一番上まで。ただ、一番の見どころの水中博物館は見過ごしてしまいました。
元々はギリシャ領だったからは、この辺りの建物の外装は白でなくてはならなかったそうです。今は義務ではないそうですが、殆どの建物は白色で、若い頃訪れたギリシャの雰囲気はあります。
今日から、写真や動画は別ページに集めることにしました。
■2025.8.9.(土)
昼ご飯を食べにボドルムの中心地に行きました。観光客相手の瀟洒な店が建ち並んでいますが、何せ暑い!駐車場の隣のレストランに飛び込みましたが、クーラーはなく、何台もの扇風機が動いているだけ。食べ終わったら車に駆け込み、その後ドライブ。ボドルムは半島のように突き出た地形の南に位置していて、今日はそのまま西に向かいました。日本の海岸線に似ていて小高い山と海との間は広くありません。ひとつ峠を越えると、すぐに海が広がり、山の斜面にはいつくように、デベロッパーの宅地が点在します。ボトルムと名前を冠したホテルの看板が多く見られました。今、滞在しているホテルも市街地からは1時間ほど離れていてもやはりボトルムとつけています。
そんな一箇所で休憩した際の写真がこれです。港には大きなボートやヨットが所狭しと停泊していました。恐らくエーゲ海のクルージングを楽しんでいるのでしょう。羨ましいとは思わないけど、どんな人達なのでしょうか?
■2025,8.8(金)
国内線で1時間半ほど南に下がったボドルムに来ました。ヨーロッパでも屈指の夏のリゾート地とか。空港に到着してその暑さには驚きました。40度!これじゃ海岸で寝そべっていたらすぐに干物になりそうです。
ホテルはボドルムの中心街よりかなり離れた所に取りました。写真はホテルからのもの。断崖を切り拓いたようで、ビーチまではかなりの距離がありそうです。海はエーゲ海です。
ここに来るまでに、集合住宅のような建物がデベロッパー毎にまとまって建てられていました。一般の住居か別荘かは分かりませんが、その数は数千戸はありそうです。
特に何をするか決めていません。昼間これだけ暑かったらホテルの部屋にいる時間が長くなりそうです。
昨夜、ブログを書いた後、イタリアンに行きました。元々オスマン帝国時代の19世紀に建てられ、使われなくなっていたチュラーン宮殿を日本の建設会社がバブルの頃に買い取り、ホテルとしての機能を持たせて大規模改修をして1990年からドイツの高級ホテルが買い取っているようです。とても豪華な内装です。アヤソフィアやトプカプ宮殿のような歴史はないものの、ホテルだから誰でも気楽に入れるし、イタリアンもボスポラス海峡に面した建物の一部を利用していて旅行者には至福のひとときを提供しています。写真はレストランの建物の一部です。
■2025.8.7.(木)
深夜便で向かった先はイスタンブール。東南アジアからの深夜便は飛行時間が短いので殆ど寝られませんが12時間かかるから、かえって寝られてすぐに着きました。かなりの早朝にも関わらず、凄い旅行者でごった返していました。
ホテルにチェックインしてメールを開こうとしたら接続されていない状態に。慌てました。仕事のメールも入ります。メールのアプリはMacなので電話をして調べてもらうと、どうやらプロバイダー側の問題とか。今度はプロバイダーのホームページでチャット。するとこの5月からセキュリティ強化のために海外からのメールを制限するかしないかをユーザーが設定することになっていたとか。メールでの通知はあったでしょうけど、見落としていたようです。ただ、設定変更するためにはパスワードが必要とか。パスワード管理のページには見つかりません。確かに契約書類にパスワードは書いてあります。日本の誰かに見てもらうしかないとのつれない返事。覚悟を決めるにはメールはひとつの生命線です。諦められません。メールアドレスはインターネットを始めたときで、その頃はよく使っていたパスワードを入力しようとすると、PCが自分から表示してくれました。正に入力しようとしていた8文字!制限をかけないに設定しなおすと、千通以上のメールが溜まっていたようです。メルアドは自宅のと同じなのですが、開封したり、迷惑メールを削除しなかったらノートには保管されています。7月は一度も出張がなかったので途中で削除の機会もなく、「制限する」の設定では拒否されて当然でしょう。冬のホテルでは問題なかったので、今回のホテルのネット環境の問題ならノートを持ち出したら解決するのかと考えたりもしました。
メールボックスを片付け終わった頃に園から今日の写真が送られてきました。預り保育が終了する頃の時間でした。そちらはそちらでメール添付で送信できなかったとか。変なところでグッドタイミング。
いろいろ起こります。旅行初日はこれでほぼ終わり。明日は初めてイスタンブールを離れます。
■2025,8,20(水)
間もなくホテルを出て空港に向かい、深夜便で帰国します。
イスタンブールは東京よりも人口が多い大都市だから喧噪はかなりですが、東京のような混雑は感じられません。まあ、今回は観光客でごった返している旧市街には出向かず殆どホテルにいたからでしょうが…。涼しいです。現在23度。
ネットニュースで、政府は防衛用のドローンをトルコから輸入するとありました。トルコとの関係が一層密になりそうですね。万博のトルコ館にはとても失望しましが。
今日でこのページは終わって、普段通りのこぼれ話のページに戻ります。お付き合いくださり、ありがとうございました。
■2025.8.19(火)
ホテルから20分ほどのダラマン空港は建設途中であってもかなりの規模になりそうです。ボドルム空港もそのうち建て替えるのでしょう。
トルコのインフレ率は30%を超えていて、経済的には必ずして芳しくないようでも、訪れた町を繋ぐ高速道路はとても良く整備されているし、拡張工事なども進んでいるようです。勿論、広い領土の一部しか見ていないし、政府も観光を経済のひとつとして、特に地中海沿岸地区を後押ししているとしても、活気、活力のある国との印象を受けました。
実質今夜が最後です。大阪はまだまだ猛暑日が続くようです。北海道の園長先生から到着時間の問い合わせメールがあったり、一部のクラスのエアコンが故障したようだとのメールが届いたりで、そろそろ日常への切り替えをしないといけません。
■2025.8.18(月)
まずは昨日の話から。
マルマリスという港町に行き、そこで復元された城を見学。その後、旧市内を散策。でも暑い!だったらと車で遠出を決めました。マルマリスが付け根だとするとそこからエーゲ海に向かって矢じりのような半島が出ています。その先端にあるのがクニドスと呼ばれているギリシャの古代都市国家のひとつの遺跡があります。途中からなかり道が狭くなり、遂に行き止まりの駐車場。止める場所もなく、迷っている間も次々と車が到着。新たに作られたような駐車場に止めて少し歩くと、折りたたみ椅子やカメラの三脚を持った人も。そうだったんです。特にその時間を狙って来たのではないのに、他の大勢の人達はこの時間のために椅子やワイングラスまで持ってはるばる来ているのでした。エーゲ海に沈む夕日。ビデオマッピングでもない、この古代都市国家の時代から日々繰り広げられている悠久の時間を見るためだったのです。遺跡と夕日をバックにポートレートのような撮影をしているカップルも。偶然でしたが、この旅行で一番心に焼き付いたシーンでした。
落陽後の闇は早く訪れます。閉門時間前の午後8時30分前から係員が笛で知らせていました。その頃は夕食も運ばれて来ていて、帰りの道程3時間に備えました。
そして今日がここでの滞在最終日。先日訪れたリュキア人の遺跡、ルトーンの側にそれよりも保存状態が良くて規模の大きい遺跡があるのを知り、訪れました。クサントスと呼ばれていてルトーンと合わせて世界遺産に登録されています。しかしここでも貴重な品は大英博物館にあるらしいですが、発掘品がその辺に散らばっているのです。言葉は悪いものの、これだけ遺跡がゴロゴロ出たのでは保管場所さえままならないのでしょう。大理石の円柱の一部なども無造作に放置されています。
風景も瀬戸内海に似ているところもあるものの、地中海の規模には敵わないように、歴史の重みも比較になりません。今回訪れた場所を整理して、ローマやギリシャ以外の視点の本を読んでみたくなりました。
暑かったです。できることなら冬場でも18度前後の頃に訪れたいですが、その頃は時間的に制限されてしまうし、歩行もかなり困難になっているので、どれだけ訪問できるかは疑問ですが、想像以上に、計画していた以上に壮大な歴史を感じさせてくれた旅でした。
現代のトルコに関しても、素晴らしく整備された道路網、圧倒的なスケールで迫る自然など、益々トルコのトリコになってしまったようです。
明日の便でイスタンブールに戻り、一晩ゆっくりします。
■2025.8.17(日)
遠出をし過ぎてホテルに戻ったのが深夜。なので、今夜はこれにて失礼します。
■2025.8.16(土)
現在滞在中のホテルはアメリカ系で、とても規模が大きく、家族旅行に打って付けでしょう、朝食会場でも殆どが家族連れ。しかも、朝食だけではなく、昼食も夕食もバイキングでなら宿泊料金に含まれているから、ホテルから一歩も出なくても休暇が楽しめます。中華、イタリアン、日本の鉄板焼きまであって、これらのレストランを利用すると別料金を取られる仕組み。事情が分からないで予約をしたけど、私にはちょっと場違い。職場を思い出してしまいます。でも子ども達には天国でしょう。普段禁止されているような食べ物がドッサリ並べられているのですから。
日本のサイトにシミットというベーグルの形状に似たパンが美味しいとあり、今朝の会場で見つけて食しました。ベーグルのように固くなく、蜂蜜に浸けているからか甘みもあってとても美味しかったです。
さて朝食後、すぐに出かけずにホテル内にあるトルコ風呂、ハマムに入り、マッサージを受けました。長距離ドライブはお休み。暑さの盛りが過ぎる頃にイズトゥズビーチに出かけました。とても繊細な砂浜が続いていて、海風が心地良かったです。ブルーラグーンは殆ど風を感じなかったのと違い、ここは時折突風も吹き、ビニールのパラスルが飛ばされたり、骨を折られていました。有料のデッキ用のパラソルは籐を編んだもの。先人の知恵だったようです。藤製なら風をはらまいのでビクともしません。
この海岸、ウミガメの産卵場所で午後8時以降は立ち入り禁止になっているとか。だからでしょうか、ゴミをゴミ箱に捨てて帰るのが当然のように振る舞っていました。
海から100メートルほどに淡水の湖があります。両方を撮影できるスポットが分からないのでネットで見つけた写真をアップします。
■2025.8.15(金)
14世紀頃に建てられたギリシャ人の村、カラキョイが1923年のギリシャ、トルコ戦争の終結時に行なわれたトルコ人とギリシャ人の人口交換協定によって村人はすべてギリシャに送還。その数1万人というから村と言うよりちょっとした町。学校、病院、教会もあったのが1923年に廃墟となり、その後の地震などの自然災害でゴーストタウン化している所に行きました。例によって急斜面に建てられています。暑さと何世紀に亘って人々が上り下りした石段は滑りやすく、ほんの一部しか見られなかったのが残念でした。私の僅かな写真よりこちらで全貌がご覧になれます。
その後はリュキア人の聖域だったルトーンという町へ。ギリシャに征服される前の紀元前6世紀頃の遺跡も残ってるとか。その後ローマ帝国の属州になったのは昨日のトロスと同じです。こちらにも立派な円形劇場が残っていました。アポロンの神殿の一部や、東ローマ帝国時代の教会などの一部も復元されていたし、未だに一部では発掘が続いていて立ち入り禁止。ところが発掘された建物の一部は無造作に置かれているだけです。古代ローマの石材に座って休みもしました。日本では考えられません。
違う道で帰路にと選んだのが、かなりの難所。そそり立つ岩山の迫力に圧倒されました。すれ違うのも難しく、ヘアピンカーブに急斜面。しかもガードレールなし。ようやく2車線の道に出ると、そこはブルーラグーンが見下ろせる場所。海水の色が入り江だけ明るい青に変わっているのが肉眼ではハッキリ見えました。
■2025.8.14(木)
フェティエ周辺には遺跡が多く残っていて現在も考古学者が多く訪れ、発掘作業が進められているようです。今日はそのひとつのトロスという古代都市の遺跡に行きました。あまり歩くようなら途中で諦めるつもりが、車のままいくつかは見られたのはラッキーでした。いえいえ、車外の気温は43度。写真を撮るのに出るだけでも目がくらみそうな暑さです。
ネットで得た知識。今から4,000年ほど前にリキュア人か建設した都市で、その後ローマ帝国の属州となり、遺跡にもローマ時代に建設されたものもありました。小高い丘の上にはアクアポリスがあり、かなり保存状態も良いとのことでも、40度超えでは絶対に無理なので遠くから眺めました。
切り立った崖にはリキュア人の手による洞窟墓が時代の風化にも堪えて残されていました。訪れる人も少なく見応えのある遺跡でした。修復作業も行なわれているようです。
その後、ブルーラグーンと呼ばれているビーチへ。途中、事故渋滞に巻き込まれるは、基本駐車禁止区域のない国だからすれ違いも難し場所でも平気で止めてあったりで、空中からの写真のような美しさはあまり感じられませんでした。
日本のように海岸線近くまで山が迫っている地形も利用して、観光用のハングライダーが沢山飛んでいました。ラグーンの全容を見るには絶好でしょうけど、たとえ操縦者同伴でも、この年ではね。
■2025.8.13(水)
ボドルムからフェティエまで約3時間。ここでこちらの道路事情についてお伝えします。
高速道路はすべて無料です。と言うより、生活道路で制限時速が110kmのが高速道路と捉えるべきでしょう。だからインターチェンジもありません。道路脇にはガソリンスタンドがあり、屋台の物品販売店もあります。信号機も時々あります。これは東南アジアの雲隠れ先の国と同じです。幹線道路でとてもよく整備されています。でも所々の工事で車線が減少していても、コーンが置かれているだけで警備員はいません。
スピード違反を取り締まるカメラはやたら目につきます。でも設置場所近くには分かりやすいマークがいくつもあるし、カメラの設置場所は分かりやすいところなのでレーダー探知器を装備する必要はなさそうです。ドライバーの運転マナーも良さそうです。少なくとも日本で時折見る無謀な車には出会っていません。
もうひとつ興味深い道路事情は、交差点の多くは信号ではなくロータリー。譲り合い精神がなかったら成り立たないシステムです。
元々親日国だからでしょうか、それとも600年のオスマン帝国そのものが他民族国家だったからでしょうか、人種的偏見は全く感じません。元々島国根性の強い日本人が日本人ファーストなんて叫んでいては国際社会に通じない国民になってしまいそうです。
■2025.8.12(火)
処方してもらった薬を服用すると、今朝はすっかり良くなりました。残りは貴重な自分用の土産になります。
暑いのでドライブ中心。ただ、前回見逃した水中博物館に再度挑戦。紀元前4世紀の木造船の一部が原型通りにパズルのようにはめ込まれていました。展示されているのは一部ですが、青銅器時代の剣や時代の確認はし忘れましたがガラス器等が展示されていました。前回よりかなりの人。気温は2,3度程度低いだけでも人の行動に違いを産むのでしょうか、それとも単なる偶然?
浜風が心地良いレストランで遅いランチを食べたあと、比較的最近発掘されたペダサの古代都市に。入場無料。人も殆ど来ない穴場と言えば穴場?一応整備はされていますが建物の土台部分だけが山肌に散在している程度で、見張りの塔の一部だけが復元されていました。
写真はいろいろ撮りました。下手ですがアルバムに載せました。
この国にはコンビニはありませんが、ガソリンスタンドには必ずコンビニ風の店があります。その店内を撮っていると、棚に「カリフォルニアロール」と「ONIGIRI」が並んで置かれていました。1個360円ほど。どの程度売れるのかは店員さんに尋ねはしませんでした。
明日はフェティエに移動します。
■2025.8.11(月)
今日は旅行記とは言えない内容、でも旅行中ならではの話。
2日ほど前から歯茎に違和感がありました。その原因となる歯は曰わく因縁の歯で、治療中の仮歯が何度も外れていました。しかも何故か東京出張から戻っての日曜日に外れるのだから、豊中市の休日診療所に何度世話になってたいたか。新しい歯医者さんはしっかり止めてくださいましたが、根っこがダメになっているので痛みが出るようなら抜いた方が良いと言われていました、その歯が痛み出したのです。ネットで調べて電話をすると午後からならと予約。
まずレントゲン室に入れられました。口頭での説明より写真で見たら一目同然だから、これは合理的。その後、治療室に案内されると、根っこがダメになっているのは左右の2本も、合計3本だと。でも旅行中に3本も、しかも下顎の中央が歯抜けになるのは忍びがたい。医師も当然と、痛み止めと化膿止めの処方箋を書くので2、3日服用すると治まるだろうとのこと。礼を言って支払いを済ませようとすると、何と要らないとの返事。信じがたいです。特別な医療システムがあるのでしょうか?政府の病院では医療費はタダとも聞いています。それに準じてなのでしょうか?ただ、パスポートは必要で携帯していなかったので写真を後から送りました。
日本では信じられないですね。結局処方箋を書くだけだから材料費等の費用が発生しないからでしょうか?
そんな訳で今日はまだ1枚も写真を撮っていません。夕食に出かける際に撮れたらアップします。
月曜日なので、園から写真が送られてくるはずなのにと、昭和人はやたら変更になったり増えたりの祝日を把握していないようです。山の日なんですね、今日は。
■2025.8.10(日)
ボドルムの中心地にまた戻って、元々は島だったところに1400年頃に建造された聖ペトロ城に行きました。昨日は昼食を摂るのがメインで、しかもその暑さに閉口して逃げるように車に乗ったので、その暑さで城に登る勇気も元気もなかったために再挑戦。やはり暑いです。古い建物を利用して所々にある展示場はクーラーが設置してあってそこで休んでほぼ一番上まで。ただ、一番の見どころの水中博物館は見過ごしてしまいました。
元々はギリシャ領だったからは、この辺りの建物の外装は白でなくてはならなかったそうです。今は義務ではないそうですが、殆どの建物は白色で、若い頃訪れたギリシャの雰囲気はあります。
今日から、写真や動画は別ページに集めることにしました。
■2025.8.9.(土)
昼ご飯を食べにボドルムの中心地に行きました。観光客相手の瀟洒な店が建ち並んでいますが、何せ暑い!駐車場の隣のレストランに飛び込みましたが、クーラーはなく、何台もの扇風機が動いているだけ。食べ終わったら車に駆け込み、その後ドライブ。ボドルムは半島のように突き出た地形の南に位置していて、今日はそのまま西に向かいました。日本の海岸線に似ていて小高い山と海との間は広くありません。ひとつ峠を越えると、すぐに海が広がり、山の斜面にはいつくように、デベロッパーの宅地が点在します。ボトルムと名前を冠したホテルの看板が多く見られました。今、滞在しているホテルも市街地からは1時間ほど離れていてもやはりボトルムとつけています。
そんな一箇所で休憩した際の写真がこれです。港には大きなボートやヨットが所狭しと停泊していました。恐らくエーゲ海のクルージングを楽しんでいるのでしょう。羨ましいとは思わないけど、どんな人達なのでしょうか?
■2025,8.8(金)
国内線で1時間半ほど南に下がったボドルムに来ました。ヨーロッパでも屈指の夏のリゾート地とか。空港に到着してその暑さには驚きました。40度!これじゃ海岸で寝そべっていたらすぐに干物になりそうです。
ホテルはボドルムの中心街よりかなり離れた所に取りました。写真はホテルからのもの。断崖を切り拓いたようで、ビーチまではかなりの距離がありそうです。海はエーゲ海です。
ここに来るまでに、集合住宅のような建物がデベロッパー毎にまとまって建てられていました。一般の住居か別荘かは分かりませんが、その数は数千戸はありそうです。
特に何をするか決めていません。昼間これだけ暑かったらホテルの部屋にいる時間が長くなりそうです。
昨夜、ブログを書いた後、イタリアンに行きました。元々オスマン帝国時代の19世紀に建てられ、使われなくなっていたチュラーン宮殿を日本の建設会社がバブルの頃に買い取り、ホテルとしての機能を持たせて大規模改修をして1990年からドイツの高級ホテルが買い取っているようです。とても豪華な内装です。アヤソフィアやトプカプ宮殿のような歴史はないものの、ホテルだから誰でも気楽に入れるし、イタリアンもボスポラス海峡に面した建物の一部を利用していて旅行者には至福のひとときを提供しています。写真はレストランの建物の一部です。
■2025.8.7.(木)
深夜便で向かった先はイスタンブール。東南アジアからの深夜便は飛行時間が短いので殆ど寝られませんが12時間かかるから、かえって寝られてすぐに着きました。かなりの早朝にも関わらず、凄い旅行者でごった返していました。
ホテルにチェックインしてメールを開こうとしたら接続されていない状態に。慌てました。仕事のメールも入ります。メールのアプリはMacなので電話をして調べてもらうと、どうやらプロバイダー側の問題とか。今度はプロバイダーのホームページでチャット。するとこの5月からセキュリティ強化のために海外からのメールを制限するかしないかをユーザーが設定することになっていたとか。メールでの通知はあったでしょうけど、見落としていたようです。ただ、設定変更するためにはパスワードが必要とか。パスワード管理のページには見つかりません。確かに契約書類にパスワードは書いてあります。日本の誰かに見てもらうしかないとのつれない返事。覚悟を決めるにはメールはひとつの生命線です。諦められません。メールアドレスはインターネットを始めたときで、その頃はよく使っていたパスワードを入力しようとすると、PCが自分から表示してくれました。正に入力しようとしていた8文字!制限をかけないに設定しなおすと、千通以上のメールが溜まっていたようです。メルアドは自宅のと同じなのですが、開封したり、迷惑メールを削除しなかったらノートには保管されています。7月は一度も出張がなかったので途中で削除の機会もなく、「制限する」の設定では拒否されて当然でしょう。冬のホテルでは問題なかったので、今回のホテルのネット環境の問題ならノートを持ち出したら解決するのかと考えたりもしました。
メールボックスを片付け終わった頃に園から今日の写真が送られてきました。預り保育が終了する頃の時間でした。そちらはそちらでメール添付で送信できなかったとか。変なところでグッドタイミング。
いろいろ起こります。旅行初日はこれでほぼ終わり。明日は初めてイスタンブールを離れます。