園の教育

千里敬愛幼稚園のないないづくし

①千里敬愛幼稚園の指導案には【練習】という言葉がありません。

練習とは、本来、ある目標を達成しようと努めることです。

小さな子ども達でも、同じことを繰り返し行ない、何かができるようになろうとします。赤ちゃんが何度も転びながらも歩行をしようとするのも同じです。

しかし、赤ちゃんには「練習している」との自覚はないはずです。それは「歩けるようになる」との目標が、決して第三者から示されるものではなく、本能とでも呼べる「成長動機」が子どもの内面にあり、この意識が「繰り返しの行動」を生んでいます。周囲の人間が歩いているのを見たり、歩けるように呼びかけることも刺激にはなっているでしょうが、「歩きたい」との意識が備わっているからで、【練習】という概念とは異なります。

ところが、教育の現場では、子ども達が「できるようになりたい」と感じる前に、周囲の人間が勝手に目標を作り、それを達成できるように、繰り返しの練習を強要します。

小さな子どもは年長者に憧れを抱いているので、年長児が行なっている活動に最初は興味をcropped-h2017100313.jpg示します。しかし、実際に自分達が行なってその負担が大きいと拒絶反応を示します。この時点でなお【練習】を強要しても良いのでしょうか?

重要なのは「楽しい!」と思えることです。活動の楽しさをまず知らせるべきです。

【練習】という言葉には、子ども達の気持ち(心理)を無視して活動をさせてしまう危険性が潜んでいます。だから、千里敬愛幼稚園の指導案には【練習】という言葉はありません。

②千里敬愛幼稚園の指導案やクラス便りには【頑張る】という言葉もありません。

ほぼ同じ理由から、私達は【頑張る】という言葉も使いません。

小学生を対象に、ある実験をした番組がありました。
児童を2グループに分け、縄跳びをしました。一方のグループの子ども達には指導者は意図的に何も言わず、もう一方のグループには「頑張れ」などの励ましの言葉をかけ続けました。すると、励ましのあったグループの方が好成績でした。
こう書くと、「頑張れ」と言葉をかけるのは効果的に思えそうです。

しかし、甚大な自然被害を受けた人達が「頑張って下さいと言われても何を頑張ったらいいんだ」と言っているのを聞きました。
「頑張れ」と励ます人と、「頑張ろう」とする人の思いが一致してこそ、共鳴できるのであって、立ち上がって歩行をしようとする赤ちゃんには励ましの言葉として伝わっても、逆に負担になることを忘れてはいけません。

人から「頑張れ」と言われるから「練習」をする子よりも、自分から「できるようになりたいから頑張って練習をする」と思える子になって欲しいと願っています。結果は同じであっても、達成感に違いはあるはずです。それが次のステップにどう続くかに大きな差異が生じます。

③千里敬愛幼稚園の保育にはウソがありません。

ちょっと衝撃的な言い方です。一般的に保育にウソがあるように聞こえます。実はその通りです。
「これは子ども達と一緒に」と保育者が説明したとします。製作展などの立派な作品を思い浮かべて下さい。大人でしかできなような作品だったりします。よくよく尋ねると、「そこは私が手を加えました」との説明が続きます。
あるがままの子どもを見守りたい。それが私達の願いです。
クローバー07

繰り返しの練習によっても子ども達の成長が見られるでしょう。でも本当の成長でしようか?
大切なのは子どもの「やる気」です。子どもは本来「成長したい」との思いが強いのです。
でも、成長の度合いは子ども一人一人で違います。
指導者はその違い(個人差)を目立たさなくしようと手を加えます。結果、ひとりひとりの個性も損なわれてしまうことに気付くべきでしょう。個人差とは能力差ではなく、個性なのです。

④千里敬愛幼稚園には保護者会がありません
園長になって最初に取り組んだ改革が保護者会の解体でした。
副園長時代は会長、副会長など四役さんの下に、クラス役員がおられました。でも、毎年募集しても、なかなか手があがりません。未だに学年の最初に参観をして、保護者の方を保育室に集めて強制的に決められる園もあります。なかなか決まらず、担任が泣き出すことも。
副園長時代に始めた貸出図書の世話係には毎年積極的な応募がありました。理由を尋ねると、子ども達と触れ合えるからだと聞きました。
クラス役員があったとき、役員会に同席するように園長に促されて出ると、本当に討論すべき内容なのか疑問に思いました。正直、時間の無駄。
しかも、当時のクラス役員さんは、農園体験時の引率、運動会の手伝い、学園祭りの準備や当日の係など、一年間にいろいろかり出されます。

もっと、気楽に参加してもらえないか、と考え抜いた末に、保護者会をなくして、必要なときにお声をかけて手伝ってもらう方法にたどり着きました。お手伝いの人数に合わせて行事の規模も決めれば良いと考えました。
役員会はなくなりましたが、お母さん方と一緒に準備を進めると、いろんな方からも改善策を直接聞けました。
幼稚園ママはお母さんの青春期」をモットーに、幼稚園と気楽に関わりながら、学生時代の楽しさを経験していただきたいのです。

⑤千里敬愛幼稚園は外部講師の指導や課外保育はありません。

私自身、全国各地の幼稚園や保育園へ指導に伺っていますが、子ども達を直接指導することはありません。担任の先生が間違った指導をしている際は、途中で保育を交代して直接指導することはあっても、それは保育のコツを先生方に「見て学んでもらう」ためです。
あくまでも、先生方の保育技術の向上のためです。
外部講師の指導とは、ある特定の保育を請け負って、いろんな園を回られている講師のことで、体育や音楽、絵画など特定の活動を直接子ども達に指導されます。
専門知識があって、高度な保育ができるように思われるでしょうが、ある目標のために(多くの場合園長先生からの要望)子ども達の実態を無視した指導も行なわれるのが現状です。すなわち結果主義になりがちです。
各分野の専門知識と幼児教育には大きなずれがあるのです。
ある種の専門分野は特殊教育で、幼児教育は人間教育であるという根本理念との違いです。

課外保育は特殊教育です。それはそれで利点があります。スイミングスクールに通ったり、ピアノ等を幼児期から学ぶのに否定的な立場ではありません。しかし、特殊教育は幼稚園期だけで終わるのではなく、継続しなければ意味がありません。
特殊教育は幼稚園で行なうのではなく、家庭教育の一環としてとらえるべきです。

また、外部講師の保育が中心の幼稚園では、折角幼児教育を専門的に学んだ学生達が、幼稚園の現場で殆ど教育に携わらず、子ども達のお世話に終始してしまっています。これでは先生方のモチベーションも下がり、結果、行事をつつがなく終わらせることでの満足に終わってしまいます。
子ども達のために活動を吟味し、子ども達と共に成長できてこそ、幼児教育者としての喜びが生まれるのです。

外部からの講師は招きませんが、園内研修は毎月、それぞれの活動で行なっています。また園長はこれまで、言葉遊び、身体表現、音楽の著書もあり、描画、体育遊びも他の園の先生方の指導もしていて、積極的な当園の教員達の指導は欠かしません。

 

以下未完

楽しいから好き!が合い言葉。子ども達も保護者も通いたくなる幼稚園を目指して