千里敬愛幼稚園は吹田市にあります。
吹田市では3歳児検診を充実(ここが問題です)させ、その結果、多くの子ども達が「発達に問題あり」と言われています。
発達遅滞が見られ、それなりの対応をすること自体問題ではないですが、ある種の隔離政策的な指導を私は懸念します。
幼稚園に入園させようと思っていたお母さんから、「保健所で『幼稚園に通うのは無理だから』と、保育園の障害児枠を薦められた」との相談を、数年前から受けるようになりました。
まず、行政がこのような指導をするのは人権問題だ言わざる得ないでしょう。子どもは等しく教育を受ける権利があります。幼稚園が義務教育でなくても同じです。
また、発達遅滞の子ども達だけを集めての教育がどれほど効果的なのか、欧米では通 常、健常児達との教育が一般的になっているのに、これでは逆効果です。
子どもは、大人以上に周囲の人達から影響、刺激を受けます。その子が充分にできなくても、見てるだけでもいろんなことを学んでいます。普通 教室だけで不充分なことは別個に指導する必要はあるでしょうが、生活そのものを分離するには、発達そのものに関してもマイナスです。
また、3歳児の知能の発達をどれだけ正確に判定できるのかも疑問です。人見知りの強い子、極端に内気な子など性格による結果 も大いにあると考えられます。
ところが園長先生によれば、発達遅滞児を入園させると他の親が嫌がる、とはっきり言われ、このようなレッテルを貼られた子ども達の入園を拒否されます。
確かに、そんな子がいたら担任の手がその子に取られ、他の子ども達に目が行き届かないのでは、との心配の声が千里敬愛幼稚園でも一部あります。
目が行き届くかどうかより前に、担任が音を上げてしまいます。どんな子どもなのかを見極めて対応すれば、そして対応できる人員構成であれば、健常児達との保育は可能です。新しいクラスになった直後は出てくるお母さんの懸念も、暫くすると消えていきます。その子も含んで、周囲の子ども達の様子から、お母さんの見方も変えられるのです。
まず、周囲の子ども達に優しさが育ちます。その子のできないことを他の子が喜んでカバーしている姿は美しく、尊いものです。いろんな子ども達がいることを肌で感じるのは、周囲の子ども達にとっても大きな学習です。子ども達は口先だけの平等ではなく、寛大な心で接しています。
現状をお話しましょう。
3歳児検診で発達遅滞と言われた子ども達は複数人数います。しかし、殆どの子ども達は他の子ども達と変わりなく園生活を楽しんでいます。
年中になってもことばが出ない子もいますが、クラスの一員としての行動はできています。
行政から、「保育園や施設での保育を受けないと、この子の将来は拓かれない」のようなことを言われれば、ご両親も動揺されるでしょう。一度は千里敬愛幼稚園に入園を決められても保健所の指示に従われた方も一人や二人ではありません。
最終判断はご両親です。
でも、私は身障児や発達遅滞の子ども達の生活を行政が限定してしまうことに憤りを覚えますし、私達で受け入れられる範囲なら、積極的に受け入れたいと願っています。それに貼られたレッテルが正確かどうかも疑問なのですから。
■この文章を読まれた吹田市在住のある方から次のようなお手紙を頂戴しました。
千里敬愛幼稚園園長先生へ
先生とは一面識もございませんが、お手紙を差し上げる無礼をご容赦下さい。
今春三歳児になる吹田市在住の男児の母です。
子供は知的障害(自閉症)で、バンビ親子教室に在籍しています。現在、保育所入所申請に対して繰り返される差別的発言に、何度もくじけそうになりながらも市との交渉を重ねております。
そんな日々のなかで先生のホームページを拝見しました。「色んな子供たちが共に育つことについて、肯定的に考えて下さっている教育者が吹田市にもいらっしゃるのだ」と知り、勇気を頂きました。ありがとうございました。
行政という大きな権力に立ち向かおうとすると、これまでは知らずにいた強い風当たりを受けることを痛感しています。
ですから、先生が教育者として経営者として社会的な地位をお持ちの上で、行政に対する発言を公開されるという行為は、きっと簡単なことではないだろうと拝察します。
でもここに、そのご発言に助けられた者がいます。
先生、どうぞ今後も市の行きすぎた管理システム(療育システムという名の「障害児・障害疑い児仕分けシステム」だと当事者には感じられます)を見つめ続けて下さい。
私もできることをし続けています。このまま黙っていられないのです。
先生の園で育まれる子供たちが、先生の背を見て、いろんな人間のありようを認め合える大人に成長されますように。
この方に対してはもちろんお返事を書きました。HPの片隅に書かれた文章をご覧になり、わざわざ礼状をお送り下さったことから、この方の心の痛みがどれほどだかが伝わります。園長としての私に何をして欲しいとの言葉は一切ありません。単に「見つめ続けて欲しい」と書かれているだけです。
これまで、障害者だと判断され、養護施設か保育園の障害児枠を薦められたが、親としては千里敬愛幼稚園に通わせたいと思っておられても、行政からの度重なる攻撃(敢えてこう言わせてもらいます)で、幼稚園を断念された方もかなりおられます。
この方は元々保育園に入所を希望されいます。なのにそこでの差別的発言に人道的な疑問を持たれているのでしょう。それを言われた「当事者」しか分からない苦痛です。
この機会に、私は当園の現実についてお話したいです。
これまで、明らかに発達遅滞だと思われるお子さんも多くお預かりしました。そして、とても無責任に「千里敬愛幼稚園は障害児を受け入れているが対応はずさんだ」と、そのお子さんの親御さんではなく、ある場面だけをご覧になられた方がおっしゃっているようです。
障害児(あるいは幼児の場合は単なる発達遅滞の場合も含めて)は情緒が不安定な傾向が強いです。考え方によれば当然です。1歳前後の子は一度泣き始めたらなかなか泣き止まない経験をされたでしょう。それと同じだと見ると何でもない光景も、同じ年齢の他の子ども達と比較して(これが間違っています)、幼稚園の対応を批判されるのです。悲しいです。その批判にこそ偏見が見え隠れします。
このような誤解は、当事者のお母さんに理解してもらうにも時間がかかります。ましてや傍観者には一日や二日の観察だけでは見えないことの方が多いのです。
週に一二度子どもを見るだけで、また、出来ない項目があるだけで障害児や発達遅滞だと判断すること自体も、同じ理由で私は間違っていると考えいます。
障害児問題は人権問題として捉えない限り、手紙を下さった方のような悲劇は繰り返されます。吹田市の保健士さん方に、ご自分が、このお母さんの立場に立ったらどう感じるかを是非考えて下さい。
そして、上のお母さんの文章を紹介した数日後、在園児のお母さんから次のようなメールをいただきました。
『障害児を持つお母さん』を読みました。私も自分の子供が言葉が出ない、出ても周りの子供達に比べて発達が遅いと、以前住んでいた場所の担当保健婦さんから判断されました。障害児と判断された後、適切な対応が出来ていれば問題ないでしょう。でもそうでない場合も本当にあります。私の場合は、自分の子供の事しか分かりませんが。
只、子供・子供と生活を共にしている母親・父親を受け入れて欲しいです。子供の将来を案じない親はいないと思います。障害児、障害児でないは全く関係なく。みんな子育てで悩みはあると思うし、これが正解!と言えるものは無いですよね。
でも、行政の対応は「これが正解!」と設定したものに到達しないと、駄目だと判断する傾向があるように思います。息子に言葉が出た時、私達夫婦はすごく喜びました。数日後、保健婦さんが訪問してくれた時、私は息子の成長を見てもらおうとしました。「言葉が出てきましたね。」と言って欲しかったのです。でも保健婦さんからは、何の言葉も聞けませんでした。発達が遅れた子供対象の教室を紹介してくれただけでした。彼女が帰ってから、泣きました。いつになったら大丈夫なんだろう?いつになったら、この子を認めてくれるんだろう?と。
子供のために、私も弱音を吐かない気持ちです。園長先生に温かい応援をもらって元気になれました。これからもいろんな子供達を見守ってください。
支離滅裂なメールですみません。
(年少女児 2005.2.15)
このメールを読みながら切なくなりました。「行政は「これが正解!」と設定したものに到達しないと、駄目だと判断する傾向があるように思います」の部分や、「でも、保健婦さんからは何の言葉も聞けませんでした」の箇所に、行政の冷血さを覚えます。先のお母さんの憤慨に共通した内容なので尚更です。
そして、今日また在園児のお母さんからメールをいただきました。先のお子さんも、このお母さんのお子さんも私達は決して障害児だとは思っていませんし、周囲の方々もそうはとらえておられないはずです。
行政はこの判断ミスをどう考えているのでしょうか?
年中児の母です。
内容を読んで2年半前の自分を思い出してしまいました。幼稚園をどこにしようかと思っているとき、発達遅延で普通の幼稚園には通えない。障害児学級に通った後、障害児枠の2年保育にするべきだと言われました。
それまで、1歳半検診の時から、少し発達がゆっくりですと言われ、2歳から豊中市がやっている親子で遊びを通して集団で学ぶ教室に勧められ通っていました。とても人見知りが強かった娘は、少しずつ人の中に入って遊べるようになり、言葉も増えました。出来ないことを私に頼るのではなく、子供たちの中では積極的にやろうとするようになったのです。核家族の中で友達や周りの人たちと接する機会が限られている中で、その教室に通って娘は友達と触れ合う場所を提供してもらい、私は保母さんや同じ悩みを持ったお母さんたちと話す事で成長させてもらったと思っているし、そういう場所を与えてもらったことをとても感謝しています。
でもそこから何故突然幼稚園には通えないという話になるのか、ゆっくりでも成長している娘を認めてもらえないのか、納得がいきませんでした。
親にとっては自分の子供がすべてなのです。成長は個人差があるとどの育児書にも書いてあります。でもやっぱり比べて一喜一憂してしまうものです。それを専門の知識を持った人たちに言われれば、認めざるを得なくなるのです。その人たちにとっては当たり前のちょっとした言葉でもとても深く傷ついてしまうのです。
一番比較しているのは行政側だと思います。
人見知りのとても強い子供が1回や2回会っただけの人の言うことを聞いて行動するわけが無いのです。何故その判断を下す前に、半年間私たち親子をみてくれた保母さんの話を考慮に入れたり、1対1だけではなく集団で遊んでいる場面、リラックスした中での子供の姿を見ることが出来ないのか、教科書通りの枠に当てはめるだけの指導なのか疑問です。
私は自分たちが通える範囲内の豊中市と吹田市の幼稚園を教室で知り合った友達と片っ端から探しました。でも幼稚園は子供自身をみてくれる所は殆ど無く、話を聞いただけで対応できませんという答えが返ってきました。一人の子供より、入園してくれる大勢の子供たちが大切で、経営者なのだと思いました。一人ひとりを見てくれる教育はしてもらえないと思いました。
結果は、入学願書を出せばほかの人と同じ面接のときにきっちりと見て受け入れられるか判断しますが、状態によるので入学できるかは確約は出来ないと言ってくれた所が1件、園長先生が説明会のときに直接別に面接して受け入れてくれると言ってくれた所が千里敬愛幼稚園を含めて2件でした。
今、娘は敬愛幼稚園が大好きで、毎日楽しく通っています。スローペースは相変わらずですが、ぼちぼち成長しています。みんなと一緒に過ごす事で成長させてもらったと思っています。
二人目の子供の成長が早いというのは、上の子を見て育つからです。発達遅延と言われた子供を持つ者の考えなのかもしれませんが、障害者と健常者をはっきり分けてしまったら、競争心からくる成長も、お互いを補い合いながら自然に育まれるやさしさも生まれないと思うのです。分けることでのメリットとデメリット、一緒にすることでのメリットとデメリットを天秤にかけて、子供たちの成長に本当に良い環境は何なのか、行政側ももう少し考えて欲しいと思います。
これがあなた達にとって一番なんだという言い方ではなくて、子供の成長の様に可能性のある、複数の選択肢をアドバイスして欲しいと思います。
思ったことをだらだらと書いてしまいました。私たち親子は千里敬愛幼稚園、園長先生、先生に会えてとっても幸せだと思っています。こういう幼稚園がもっと増えたらいいなぁと思っています。周りの子供たちに迷惑をかけて支えられながらの成長だとは思いますが、行政に言われた通りの道を進んでいたら、今の娘は無かったと思っています。卒園まであと1年ちょっと、これからもよろしくお願いします。
もう少しで引っ越すのですが、娘はそのまま卒園まで通わせるつもりですが、周りに同じ小学校に通う子はいないので、下の子の幼稚園選びでまた頭を痛める事になりそうです。 (2005.2.22)

■次のメールは卒園後、10年経過していただいたものです。誕生後、重い病気にかかられた後遺症で障害を持たれたお子さんです。HPをよく見て下さっていて、先日も北海道に行ったことを書いたのを読まれたのも、メールを下さるきっかけになったのでしょう。
●私は平成2年生まれの敬愛幼稚園卒業生の母です。
北海道から、病気をした娘を面接に連れて行き、転勤した5月からみんなより一ヶ月遅く入園させた娘の母です。ご無沙汰しております。
卒園から10年以上がたちましたが、母の私が数年前から保育士資格習得のため、通信制の近畿大学豊岡短期大学で、学んでおり、時折敬愛時代のわが子が後遺症を持ちながら頑張っていたこと、卒園には、クラス代表で、前に出させていただいた事、いろいろ思い出しながら、拝見しておりました。
娘は、高校2年になりました。
北海道では、最初病気の理解がなかなかされず、学校で苦労しましたが、札幌に転校させて、良い小学校に恵まれました。
後遺症は、まだ、目の目力(DSで宣伝してますが)に問題があり、勉強は苦労しています。札幌では、合う学校がなく小樽の不登校や学力不振の子の受け皿の高校に通っています。
そこの演劇の先生が、娘の演劇に対しての感性が鋭いと言ってくださり、言葉では表せない心理描写、間の取り方が身体で覚えているといわれました。
ふーと、敬愛幼稚園の保育発表会のことを思い出しました。
子供たちの心のイメージを大事にしたすばらしい発表会で、みんなが主役、みんなが女優、男優だったと思います。娘の心の中に、きっとこの体験が生きているのだと、感謝しております。いつも、みんなとの違いに苦しんでいた娘と私には、この感性を失っていなかった事が最大の宝です。
娘に、幼稚園時代を聞くと、グランドで、緑とかピンクとかすーごく色を出して遊んだとの事。きっと、塗ったくりのことかなと思います。
敬愛幼稚園は、子供のイメージ力を大切にする最高の園だと確信しました。
娘の高校では、家庭に問題を抱えたり、無関心の親に失望し、投げやりな子が多くみられます。
娘は、小さい頃に楽しい記憶をちゃんと持っていると、立ち直れるんだけど、と語っています。敬愛幼稚園の卒業生で本当によかったと思います。
園長先生もお身体に気をつけて、子供たちを見守っていてください。
(2007.6.26)
■毎日更新しているこぼれ話に次のような内容を書きました。
「■朝、入園に関する問い合わせがありました。現在、市の親子教室に通われているのですが、そこで幼稚園は無理で、特別支援の施設か、保育園(もちろん市立)の障害児枠を申し込むようにと言われたけど、千里敬愛幼稚園はいろんな園児さんを受け入れて下さると聞いたので、一度話をしたいとの内容でした。年齢を尋ねると、ブルーポッケの子ども達と同じなので、一度見学に来られてはどうかとお誘いしました。丁度今日は水遊びを準備していると伝えると、すぐに来たいとおっしゃいました。電話口のお母さんが涙声になられているのも伝わりました。
■来園された時間は、まだブルーポッケが屋上で水遊びをしていたので、ご一緒しました。保健所が何故そんなことを言うのか分からないほど、ごくごく普通の2歳児でした。電話でも「他の子に乱暴をするのです」と。それが一番ネックらしいです。ところが保健所はお母さんに、「今は他の子達との関わりは週1回の親子教室だけで良い。他の時間はお母さんと一緒に過ごすように」と言われたとか。お母さんご自身も、この提案に疑問を持たれ、何度も質問されたようですが、「この子にはそれが一番いい」と突き放すだけ。
■水遊びの道具を取ろうしたり、何故か他の子のお尻に自分のお尻を押しつけたりされていました。でも、これは「コミュニケーションの取り方」が不十分だからで、その能力を育てるためには、お母さんとの関係だけでは絶対に身に付きません。しかも、一人っ子さん。尚更です。保健所の真意が分かりません。普通に成長している子にさえ、何かマイナス要素があると、すぐに障害児のレッテルを貼るのは、これまでも何度も経験していますが、子どもの健全な成長とは真逆のことをお母さんに伝えるなんて、ある意味犯罪です。
■この子、言葉でのやりとりにも問題はないし、お母さんが私と話をしている間も、自分から遊びを見つけて楽しんでおられました。少しでも早く、同年齢の子ども達と関われる環境に置いてあげたいと、切に願いました。
■保健所の話で、お母さんもずっと悩まれ、体調を崩してしまわれたと聞くと、行政という名の下での非道な対応に強い憤りさえ覚えました。」
するとすぐに2通のメールをいただいたので紹介します。
●今日の園長先生のこぼれ話を読みとても心苦しくなり、思わずメールしてしまいました。
私にも現在2歳になる末っ子の娘がいます。(早生まれなので来年年少入園ですが)
少し内容は違うかもですが、私の娘も市の1歳半健診を受けた時、時間的にもちょうどお昼寝時という事もあり寝ぐずりを起こしてしまい、問診での知能検査(積み木の積み上げ)を泣きわめいて出来ませんでした。
ただ、ただそれだけなのに、最後に保健士さんとの結果診断のお話で「積み木が積み上げられない、その場で泣いて知能検査が受けられないのは知能に問題がある。普段日中見てられるのはお母さんだけですか?そうであれば、毎週水曜日に公立の○○保育園で子育てサロンをしているからそこに行って他のお子さんとの交流を持たないと、娘さんがこれから幼稚園に行っても他のお子さんと馴染めませんよ」と言われました。
失礼ですが、私はその時この方が何をおっしゃっているのかがサッパリ分かりませんでした。
娘の何を知っていてそう言っておられるのか。
私はその決めつけに腹が立ち、思わず「娘は普段から公園でも知らないお友達だろうが遊具の貸借りが出来るし普通に仲良く遊べてます。私からしたら何の問題もありません」と言い返しました。
そしたら「でも今回積み木が積み上げられないという知能に問題がありますし、お母さんは今働いておられませんよね?でしたら週に1回だけですし保育園に行かれる事も可能ですよね?行かれないと娘さんが幼稚園で困るだけですよ」と言われました。
もう今でもはっきり覚えいるくらい腹ただしい言葉でした。
ブルーポッケの年齢ならまだ言葉で自分の意思を伝えるのも難しいから、行動で伝えてきたりします。
そのお母様からされたら初めてのお子さんで、何もかもが初めての中で毎日一生懸命向き合っておられる事だと思うのに、少し問題要素があるだけで障がい児扱いされたら深く傷つかれたと思いますし不安だったでしょうね。
子育て相談にものられるプロが、そのような言葉を言い放つなどあってはならないと思います。
似たような言葉を言われた身として、とても胸が苦しく悲しい気持ちになりました。
私も同じくらいのお子さんと関わっていけばきっとそのお子さんはすごい成長を見せてくれるような気がします。
そしてそのお母様がその時には嬉し涙を流してくれる事を切に願います。(2016/6/20)
■あまりにも短絡的な発言を保健所は何故繰り返すのでしょうか?
もう1通紹介します。
●6月20日の園長のこぼればなしを読んで、去年の自分の事を思いだしました。
我が子も市役所に幼稚園は難しいと言われ、週に1回親子教室に通い、
心身共に疲弊して、家事は疎かになり、主人のいる土日は寝込んでしまっていました。
市のやり方にはかなり不満があり、親子教室に通っていたのも断ったらネグレクトを疑われて もっと面倒な事になるのが怖かったからです。
今、進路を悩まれてる親御さんに伝えていただけたらと思いメールしました。
幼稚園は難しいと言われ知的障害児の施設をすすめられた我が子は毎日楽しく幼稚園に通っています。
もちろん、登園を渋ったり、制服を嫌がる事もありましたが、 これは新入園児なら誰にでも起こりうる事だと思います。
参観に行くと、先生の話をきかずよそを向いてる事もありますが、
補助の先生がフォローしてくれて一緒に話を聞いています。
塗りたくりや素材遊び参観の時には何をしたらよいかわからず、隅にいましたが、 担任の先生や他のクラスの先生もこまめに目を配ってくれて遊びに誘ってくれていました。 また同じクラスの子が、我が子と遊ぶ姿も見られました。
入園前は「パン、ぎゅうにゅう、きゅうきゅうしゃ、弟の名前」しか言わなかったのが、単語が増え二語文も出てきました。
(これはお喋りの上手な子に囲まれた生活だったからだと思います。)
幼稚園で歌ってる歌も家で宇宙語でたくさん歌ってくれます。
これを市役所は「幼稚園でやっていけてない」ととるのかもしれません。 実際、集団から遅れてフォローされてる姿をよく見ますし、 HPにはみんなが歌ってるのに、我が子はピアノを弾いてる先生の膝の上にいる写真も公開されていました(笑)
だけど、私はこれで充分だと思いますし、 「やっぱり知的障害児の施設にいてれおくべきだった」との思いは一切ありません。
もちろん、施設には施設の良さがあるでしょう、
でも「幼稚園は難しい」の言葉から連想される姿(我が子が幼稚園に馴染めない)は千里敬愛幼稚園では見られないのです。
せめて「小学校受験を考えるような子がいく幼稚園は難しい」とか、 「複数担任のいる幼稚園でないと難しい」だったら市役所に対するイメージも変わっていたんでしょうけどね。
長々とすみません。
でも今現在も市役所の対応に悩まれている2才児の親御さんがたくさんいると思ったらついついメールしてしまいました。
誰かの参考になったら嬉しいです。(2016/6/21)
■次の方は2020年3月の卒園児のお母さんから卒園後にいただいたメールです。
無事に卒園証書をいただくことができ、なんとも言葉に言い表すことができないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。
賞状を頂いたりしても、正直ただの紙にしか思えなかったのに、見るたびに感慨深く、これほど重みを感じる経験は初めてです。
息子は、幼稚園は無理だと言われていました。
息子が2歳4か月の頃、職場の託児施設の保育士さんから言葉の遅れや集中力のなさ、偏ったこだわりを指摘されました。
言葉の遅れは自覚していましたが、それ以外は年齢的なものとしか思えず転々…。
それでも育児のプロが違和感を感じるならと発達検査をうけると、発達障害のグレーゾーンとの診断。
お医者様のお話では自閉症でないのは明らかだが、本人が生きにくさを感じれば発達障害という診断になるし、感じなければ個性の範囲だと。
当時、大阪市内に住んでおりましたが、吹田市の『バンビ親子教室』のようなグレーゾーンの子の受け入れ先がなく、療育手帳がなければ全て自腹で民間の療育を受けるしかありません。療育手帳があれば無料で受けられるものも、無い人は1時間で3千円~5千円くらいかかると言われました。
市役所の相談員の方には、「幼稚園は無理だから、保育園の障害児枠で申し込んではどうか」と言われ、この子の何を見てそのように言っているのか怒りを感じるとともに、目の前が真っ暗になりました。療育手帳は出してくれないのに、扱いだけは障害児なのです。
そんなとき、ネットでたどり着いたのが、園長先生の『障害児と健常児』のページでした。
どれだけ心が勇気づけられたか分かりません。湧き上がってくる希望が涙になって溢れてくるようでした。
それから、ひょんなことからあれよあれよと吹田へ転居することが決まり、バンビ親子教室でお世話になりました。そこでもやはり「幼稚園は厳しいかも」と言われ発達支援枠で保育園に入れることが息子のためであるかのように言われ。
でも、発達支援枠は各保育園に1枠づつしかなく吹田での受け入れは13人のみ。普通枠は正社員ですら落ちる状態で、専業主婦なら確実に無理と保健士さんに言われました。発達支援枠を進める割に受け入れてもらえるのかは不確かで、大阪市での状況もあり、どこからも息子の存在を爪弾きにされているように感じていました。
そんな中、保育園が無理なら幼稚園でも受け入れてもらえるのかと近隣の幼稚園を調べていたときに、またしても千里敬愛幼稚園のページにたどり着きました。(東北の人間なので恥ずかしながら土地勘がなく、最初に園長先生の手記を拝読したときには吹田と聞いてもどこにあるのかも分からない状態でした)
不思議なご縁を感じ、入園させていただきたい気持ちでいっぱいでしたが、やはり保育園のほうが良いのかもと迷いもありました。散々市役所で言われた通り、無理に幼稚園に入れても先生やお友達に迷惑をかけてしまったり、息子自身も傷ついてしまうかもと不安があったからです。
でも特別相談の日、主任の先生が息子とお話したり遊んだりしてくださり、抱っこして熱帯魚を見せに行ったりもしてくれました。息子は恥ずかしそうにはにかみながら、それでもニコニコと嬉しそうに楽しそうに抱っこしてもらっていました。主任の先生はそんな息子を見ながら「お母さん、ぜひうちの幼稚園に来てください」とおっしゃってくださったのです。
初めて息子を受け入れてくれる居場所ができたような気がして、嬉しくてほっとして、涙をこらえるのに必死でした。
入園時には、やっと3語文を話せるか?という状態でしたが、5月ごろにはビックリするほど言葉が増え、年少の秋の発達検査では、言葉の遅れも無くなっていて、他に問題も無くもう定期検査もしなくていいと言われました。
子供の将来について心配するのはどの親でも同じだと思いますが、本当は違うのに「障害児」のレッテルを貼られ、行き場のない思いをされている方が今日もいると思うと心が痛みます。
いつかの「せっせっせ」に子供の能力は身に着けさせるものではなく、引き出すものだという内容が書かれてあったと思います。
息子はまさにこの状態で、正しく関わることの大切さ、私がうまく能力を引き出してあげられていなかった現実を痛感しました。
ありのままの息子を受け入れてくれたお友達や担任の先生にも恵まれ、感謝の気持ちしかありません。親子ともども救っていただきました。
お陰様で無事に卒園できたこと、小学校も普通学級に進学できること、有難い気持ちでいっぱいです。
長々ととりとめのない文になってしまい申し訳ありません。
千里敬愛幼稚園がなければ、私たち親子の運命は全く違ったものになってしまっていたかもしれません。この場をお借りして園長先生をはじめ先生方に心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。 (2020.3)
レッテル貼る部署と支援の部署が違う、正に縦割り行政によって苦しんでおられる親御さんも多くおられると推測できます。
「本人が生きにくさを感じれば発達障害という診断になるし、感じなければ個性の範囲」のお医者さんの姿勢が保健所に少しでもあれば、「レッテル貼り」にも少しは変わるはずです。実際、このお子さんのように幼稚園生活を通して、「普通」の子どもとして「普通学級」に入学されるのは決して特別なことではありません。
千里敬愛幼稚園は吹田市にあります。
吹田市では3歳児検診を充実(ここが問題です)させ、その結果、多くの子ども達が「発達に問題あり」と言われています。
発達遅滞が見られ、それなりの対応をすること自体問題ではないですが、ある種の隔離政策的な指導を私は懸念します。
まず、行政がこのような指導をするのは人権問題だ言わざる得ないでしょう。子どもは等しく教育を受ける権利があります。幼稚園が義務教育でなくても同じです。
また、発達遅滞の子ども達だけを集めての教育がどれほど効果的なのか、欧米では通 常、健常児達との教育が一般的になっているのに、これでは逆効果です。
子どもは、大人以上に周囲の人達から影響、刺激を受けます。その子が充分にできなくても、見てるだけでもいろんなことを学んでいます。普通 教室だけで不充分なことは別個に指導する必要はあるでしょうが、生活そのものを分離するには、発達そのものに関してもマイナスです。
ところが園長先生によれば、発達遅滞児を入園させると他の親が嫌がる、とはっきり言われ、このようなレッテルを貼られた子ども達の入園を拒否されます。
確かに、そんな子がいたら担任の手がその子に取られ、他の子ども達に目が行き届かないのでは、との心配の声が千里敬愛幼稚園でも一部あります。
目が行き届くかどうかより前に、担任が音を上げてしまいます。どんな子どもなのかを見極めて対応すれば、そして対応できる人員構成であれば、健常児達との保育は可能です。新しいクラスになった直後は出てくるお母さんの懸念も、暫くすると消えていきます。その子も含んで、周囲の子ども達の様子から、お母さんの見方も変えられるのです。
まず、周囲の子ども達に優しさが育ちます。その子のできないことを他の子が喜んでカバーしている姿は美しく、尊いものです。いろんな子ども達がいることを肌で感じるのは、周囲の子ども達にとっても大きな学習です。子ども達は口先だけの平等ではなく、寛大な心で接しています。
現状をお話しましょう。
3歳児検診で発達遅滞と言われた子ども達は複数人数います。しかし、殆どの子ども達は他の子ども達と変わりなく園生活を楽しんでいます。
年中になってもことばが出ない子もいますが、クラスの一員としての行動はできています。
行政から、「保育園や施設での保育を受けないと、この子の将来は拓かれない」のようなことを言われれば、ご両親も動揺されるでしょう。一度は千里敬愛幼稚園に入園を決められても保健所の指示に従われた方も一人や二人ではありません。
最終判断はご両親です。
でも、私は身障児や発達遅滞の子ども達の生活を行政が限定してしまうことに憤りを覚えますし、私達で受け入れられる範囲なら、積極的に受け入れたいと願っています。それに貼られたレッテルが正確かどうかも疑問なのですから。
■この文章を読まれた吹田市在住のある方から次のようなお手紙を頂戴しました。
千里敬愛幼稚園園長先生へ
先生とは一面識もございませんが、お手紙を差し上げる無礼をご容赦下さい。
今春三歳児になる吹田市在住の男児の母です。
子供は知的障害(自閉症)で、バンビ親子教室に在籍しています。現在、保育所入所申請に対して繰り返される差別的発言に、何度もくじけそうになりながらも市との交渉を重ねております。
そんな日々のなかで先生のホームページを拝見しました。「色んな子供たちが共に育つことについて、肯定的に考えて下さっている教育者が吹田市にもいらっしゃるのだ」と知り、勇気を頂きました。ありがとうございました。
行政という大きな権力に立ち向かおうとすると、これまでは知らずにいた強い風当たりを受けることを痛感しています。
ですから、先生が教育者として経営者として社会的な地位をお持ちの上で、行政に対する発言を公開されるという行為は、きっと簡単なことではないだろうと拝察します。
でもここに、そのご発言に助けられた者がいます。
先生、どうぞ今後も市の行きすぎた管理システム(療育システムという名の「障害児・障害疑い児仕分けシステム」だと当事者には感じられます)を見つめ続けて下さい。
私もできることをし続けています。このまま黙っていられないのです。
先生の園で育まれる子供たちが、先生の背を見て、いろんな人間のありようを認め合える大人に成長されますように。
この方に対してはもちろんお返事を書きました。HPの片隅に書かれた文章をご覧になり、わざわざ礼状をお送り下さったことから、この方の心の痛みがどれほどだかが伝わります。園長としての私に何をして欲しいとの言葉は一切ありません。単に「見つめ続けて欲しい」と書かれているだけです。
これまで、障害者だと判断され、養護施設か保育園の障害児枠を薦められたが、親としては千里敬愛幼稚園に通わせたいと思っておられても、行政からの度重なる攻撃(敢えてこう言わせてもらいます)で、幼稚園を断念された方もかなりおられます。
この方は元々保育園に入所を希望されいます。なのにそこでの差別的発言に人道的な疑問を持たれているのでしょう。それを言われた「当事者」しか分からない苦痛です。
この機会に、私は当園の現実についてお話したいです。
これまで、明らかに発達遅滞だと思われるお子さんも多くお預かりしました。そして、とても無責任に「千里敬愛幼稚園は障害児を受け入れているが対応はずさんだ」と、そのお子さんの親御さんではなく、ある場面だけをご覧になられた方がおっしゃっているようです。
障害児(あるいは幼児の場合は単なる発達遅滞の場合も含めて)は情緒が不安定な傾向が強いです。考え方によれば当然です。1歳前後の子は一度泣き始めたらなかなか泣き止まない経験をされたでしょう。それと同じだと見ると何でもない光景も、同じ年齢の他の子ども達と比較して(これが間違っています)、幼稚園の対応を批判されるのです。悲しいです。その批判にこそ偏見が見え隠れします。
このような誤解は、当事者のお母さんに理解してもらうにも時間がかかります。ましてや傍観者には一日や二日の観察だけでは見えないことの方が多いのです。
週に一二度子どもを見るだけで、また、出来ない項目があるだけで障害児や発達遅滞だと判断すること自体も、同じ理由で私は間違っていると考えいます。
障害児問題は人権問題として捉えない限り、手紙を下さった方のような悲劇は繰り返されます。吹田市の保健士さん方に、ご自分が、このお母さんの立場に立ったらどう感じるかを是非考えて下さい。
そして、上のお母さんの文章を紹介した数日後、在園児のお母さんから次のようなメールをいただきました。
『障害児を持つお母さん』を読みました。私も自分の子供が言葉が出ない、出ても周りの子供達に比べて発達が遅いと、以前住んでいた場所の担当保健婦さんから判断されました。障害児と判断された後、適切な対応が出来ていれば問題ないでしょう。でもそうでない場合も本当にあります。私の場合は、自分の子供の事しか分かりませんが。
只、子供・子供と生活を共にしている母親・父親を受け入れて欲しいです。子供の将来を案じない親はいないと思います。障害児、障害児でないは全く関係なく。みんな子育てで悩みはあると思うし、これが正解!と言えるものは無いですよね。
でも、行政の対応は「これが正解!」と設定したものに到達しないと、駄目だと判断する傾向があるように思います。息子に言葉が出た時、私達夫婦はすごく喜びました。数日後、保健婦さんが訪問してくれた時、私は息子の成長を見てもらおうとしました。「言葉が出てきましたね。」と言って欲しかったのです。でも保健婦さんからは、何の言葉も聞けませんでした。発達が遅れた子供対象の教室を紹介してくれただけでした。彼女が帰ってから、泣きました。いつになったら大丈夫なんだろう?いつになったら、この子を認めてくれるんだろう?と。
子供のために、私も弱音を吐かない気持ちです。園長先生に温かい応援をもらって元気になれました。これからもいろんな子供達を見守ってください。
支離滅裂なメールですみません。
(年少女児 2005.2.15)
このメールを読みながら切なくなりました。「行政は「これが正解!」と設定したものに到達しないと、駄目だと判断する傾向があるように思います」の部分や、「でも、保健婦さんからは何の言葉も聞けませんでした」の箇所に、行政の冷血さを覚えます。先のお母さんの憤慨に共通した内容なので尚更です。
そして、今日また在園児のお母さんからメールをいただきました。先のお子さんも、このお母さんのお子さんも私達は決して障害児だとは思っていませんし、周囲の方々もそうはとらえておられないはずです。
行政はこの判断ミスをどう考えているのでしょうか?
年中児の母です。
内容を読んで2年半前の自分を思い出してしまいました。幼稚園をどこにしようかと思っているとき、発達遅延で普通の幼稚園には通えない。障害児学級に通った後、障害児枠の2年保育にするべきだと言われました。
それまで、1歳半検診の時から、少し発達がゆっくりですと言われ、2歳から豊中市がやっている親子で遊びを通して集団で学ぶ教室に勧められ通っていました。とても人見知りが強かった娘は、少しずつ人の中に入って遊べるようになり、言葉も増えました。出来ないことを私に頼るのではなく、子供たちの中では積極的にやろうとするようになったのです。核家族の中で友達や周りの人たちと接する機会が限られている中で、その教室に通って娘は友達と触れ合う場所を提供してもらい、私は保母さんや同じ悩みを持ったお母さんたちと話す事で成長させてもらったと思っているし、そういう場所を与えてもらったことをとても感謝しています。
でもそこから何故突然幼稚園には通えないという話になるのか、ゆっくりでも成長している娘を認めてもらえないのか、納得がいきませんでした。
親にとっては自分の子供がすべてなのです。成長は個人差があるとどの育児書にも書いてあります。でもやっぱり比べて一喜一憂してしまうものです。それを専門の知識を持った人たちに言われれば、認めざるを得なくなるのです。その人たちにとっては当たり前のちょっとした言葉でもとても深く傷ついてしまうのです。
一番比較しているのは行政側だと思います。
人見知りのとても強い子供が1回や2回会っただけの人の言うことを聞いて行動するわけが無いのです。何故その判断を下す前に、半年間私たち親子をみてくれた保母さんの話を考慮に入れたり、1対1だけではなく集団で遊んでいる場面、リラックスした中での子供の姿を見ることが出来ないのか、教科書通りの枠に当てはめるだけの指導なのか疑問です。
私は自分たちが通える範囲内の豊中市と吹田市の幼稚園を教室で知り合った友達と片っ端から探しました。でも幼稚園は子供自身をみてくれる所は殆ど無く、話を聞いただけで対応できませんという答えが返ってきました。一人の子供より、入園してくれる大勢の子供たちが大切で、経営者なのだと思いました。一人ひとりを見てくれる教育はしてもらえないと思いました。
結果は、入学願書を出せばほかの人と同じ面接のときにきっちりと見て受け入れられるか判断しますが、状態によるので入学できるかは確約は出来ないと言ってくれた所が1件、園長先生が説明会のときに直接別に面接して受け入れてくれると言ってくれた所が千里敬愛幼稚園を含めて2件でした。
今、娘は敬愛幼稚園が大好きで、毎日楽しく通っています。スローペースは相変わらずですが、ぼちぼち成長しています。みんなと一緒に過ごす事で成長させてもらったと思っています。
二人目の子供の成長が早いというのは、上の子を見て育つからです。発達遅延と言われた子供を持つ者の考えなのかもしれませんが、障害者と健常者をはっきり分けてしまったら、競争心からくる成長も、お互いを補い合いながら自然に育まれるやさしさも生まれないと思うのです。分けることでのメリットとデメリット、一緒にすることでのメリットとデメリットを天秤にかけて、子供たちの成長に本当に良い環境は何なのか、行政側ももう少し考えて欲しいと思います。
これがあなた達にとって一番なんだという言い方ではなくて、子供の成長の様に可能性のある、複数の選択肢をアドバイスして欲しいと思います。
思ったことをだらだらと書いてしまいました。私たち親子は千里敬愛幼稚園、園長先生、先生に会えてとっても幸せだと思っています。こういう幼稚園がもっと増えたらいいなぁと思っています。周りの子供たちに迷惑をかけて支えられながらの成長だとは思いますが、行政に言われた通りの道を進んでいたら、今の娘は無かったと思っています。卒園まであと1年ちょっと、これからもよろしくお願いします。
もう少しで引っ越すのですが、娘はそのまま卒園まで通わせるつもりですが、周りに同じ小学校に通う子はいないので、下の子の幼稚園選びでまた頭を痛める事になりそうです。 (2005.2.22)
■次のメールは卒園後、10年経過していただいたものです。誕生後、重い病気にかかられた後遺症で障害を持たれたお子さんです。HPをよく見て下さっていて、先日も北海道に行ったことを書いたのを読まれたのも、メールを下さるきっかけになったのでしょう。
●私は平成2年生まれの敬愛幼稚園卒業生の母です。
北海道から、病気をした娘を面接に連れて行き、転勤した5月からみんなより一ヶ月遅く入園させた娘の母です。ご無沙汰しております。
卒園から10年以上がたちましたが、母の私が数年前から保育士資格習得のため、通信制の近畿大学豊岡短期大学で、学んでおり、時折敬愛時代のわが子が後遺症を持ちながら頑張っていたこと、卒園には、クラス代表で、前に出させていただいた事、いろいろ思い出しながら、拝見しておりました。
娘は、高校2年になりました。
北海道では、最初病気の理解がなかなかされず、学校で苦労しましたが、札幌に転校させて、良い小学校に恵まれました。
後遺症は、まだ、目の目力(DSで宣伝してますが)に問題があり、勉強は苦労しています。札幌では、合う学校がなく小樽の不登校や学力不振の子の受け皿の高校に通っています。
そこの演劇の先生が、娘の演劇に対しての感性が鋭いと言ってくださり、言葉では表せない心理描写、間の取り方が身体で覚えているといわれました。
ふーと、敬愛幼稚園の保育発表会のことを思い出しました。
子供たちの心のイメージを大事にしたすばらしい発表会で、みんなが主役、みんなが女優、男優だったと思います。娘の心の中に、きっとこの体験が生きているのだと、感謝しております。いつも、みんなとの違いに苦しんでいた娘と私には、この感性を失っていなかった事が最大の宝です。
娘に、幼稚園時代を聞くと、グランドで、緑とかピンクとかすーごく色を出して遊んだとの事。きっと、塗ったくりのことかなと思います。
敬愛幼稚園は、子供のイメージ力を大切にする最高の園だと確信しました。
娘の高校では、家庭に問題を抱えたり、無関心の親に失望し、投げやりな子が多くみられます。
娘は、小さい頃に楽しい記憶をちゃんと持っていると、立ち直れるんだけど、と語っています。敬愛幼稚園の卒業生で本当によかったと思います。
園長先生もお身体に気をつけて、子供たちを見守っていてください。
(2007.6.26)
■毎日更新しているこぼれ話に次のような内容を書きました。
「■朝、入園に関する問い合わせがありました。現在、市の親子教室に通われているのですが、そこで幼稚園は無理で、特別支援の施設か、保育園(もちろん市立)の障害児枠を申し込むようにと言われたけど、千里敬愛幼稚園はいろんな園児さんを受け入れて下さると聞いたので、一度話をしたいとの内容でした。年齢を尋ねると、ブルーポッケの子ども達と同じなので、一度見学に来られてはどうかとお誘いしました。丁度今日は水遊びを準備していると伝えると、すぐに来たいとおっしゃいました。電話口のお母さんが涙声になられているのも伝わりました。
■来園された時間は、まだブルーポッケが屋上で水遊びをしていたので、ご一緒しました。保健所が何故そんなことを言うのか分からないほど、ごくごく普通の2歳児でした。電話でも「他の子に乱暴をするのです」と。それが一番ネックらしいです。ところが保健所はお母さんに、「今は他の子達との関わりは週1回の親子教室だけで良い。他の時間はお母さんと一緒に過ごすように」と言われたとか。お母さんご自身も、この提案に疑問を持たれ、何度も質問されたようですが、「この子にはそれが一番いい」と突き放すだけ。
■水遊びの道具を取ろうしたり、何故か他の子のお尻に自分のお尻を押しつけたりされていました。でも、これは「コミュニケーションの取り方」が不十分だからで、その能力を育てるためには、お母さんとの関係だけでは絶対に身に付きません。しかも、一人っ子さん。尚更です。保健所の真意が分かりません。普通に成長している子にさえ、何かマイナス要素があると、すぐに障害児のレッテルを貼るのは、これまでも何度も経験していますが、子どもの健全な成長とは真逆のことをお母さんに伝えるなんて、ある意味犯罪です。
■この子、言葉でのやりとりにも問題はないし、お母さんが私と話をしている間も、自分から遊びを見つけて楽しんでおられました。少しでも早く、同年齢の子ども達と関われる環境に置いてあげたいと、切に願いました。
■保健所の話で、お母さんもずっと悩まれ、体調を崩してしまわれたと聞くと、行政という名の下での非道な対応に強い憤りさえ覚えました。」
するとすぐに2通のメールをいただいたので紹介します。
●今日の園長先生のこぼれ話を読みとても心苦しくなり、思わずメールしてしまいました。
私にも現在2歳になる末っ子の娘がいます。(早生まれなので来年年少入園ですが)
少し内容は違うかもですが、私の娘も市の1歳半健診を受けた時、時間的にもちょうどお昼寝時という事もあり寝ぐずりを起こしてしまい、問診での知能検査(積み木の積み上げ)を泣きわめいて出来ませんでした。
ただ、ただそれだけなのに、最後に保健士さんとの結果診断のお話で「積み木が積み上げられない、その場で泣いて知能検査が受けられないのは知能に問題がある。普段日中見てられるのはお母さんだけですか?そうであれば、毎週水曜日に公立の○○保育園で子育てサロンをしているからそこに行って他のお子さんとの交流を持たないと、娘さんがこれから幼稚園に行っても他のお子さんと馴染めませんよ」と言われました。
失礼ですが、私はその時この方が何をおっしゃっているのかがサッパリ分かりませんでした。
娘の何を知っていてそう言っておられるのか。
私はその決めつけに腹が立ち、思わず「娘は普段から公園でも知らないお友達だろうが遊具の貸借りが出来るし普通に仲良く遊べてます。私からしたら何の問題もありません」と言い返しました。
そしたら「でも今回積み木が積み上げられないという知能に問題がありますし、お母さんは今働いておられませんよね?でしたら週に1回だけですし保育園に行かれる事も可能ですよね?行かれないと娘さんが幼稚園で困るだけですよ」と言われました。
もう今でもはっきり覚えいるくらい腹ただしい言葉でした。
ブルーポッケの年齢ならまだ言葉で自分の意思を伝えるのも難しいから、行動で伝えてきたりします。
そのお母様からされたら初めてのお子さんで、何もかもが初めての中で毎日一生懸命向き合っておられる事だと思うのに、少し問題要素があるだけで障がい児扱いされたら深く傷つかれたと思いますし不安だったでしょうね。
子育て相談にものられるプロが、そのような言葉を言い放つなどあってはならないと思います。
似たような言葉を言われた身として、とても胸が苦しく悲しい気持ちになりました。
私も同じくらいのお子さんと関わっていけばきっとそのお子さんはすごい成長を見せてくれるような気がします。
そしてそのお母様がその時には嬉し涙を流してくれる事を切に願います。(2016/6/20)
■あまりにも短絡的な発言を保健所は何故繰り返すのでしょうか?
もう1通紹介します。
●6月20日の園長のこぼればなしを読んで、去年の自分の事を思いだしました。
我が子も市役所に幼稚園は難しいと言われ、週に1回親子教室に通い、
心身共に疲弊して、家事は疎かになり、主人のいる土日は寝込んでしまっていました。
市のやり方にはかなり不満があり、親子教室に通っていたのも断ったらネグレクトを疑われて もっと面倒な事になるのが怖かったからです。
今、進路を悩まれてる親御さんに伝えていただけたらと思いメールしました。
幼稚園は難しいと言われ知的障害児の施設をすすめられた我が子は毎日楽しく幼稚園に通っています。
もちろん、登園を渋ったり、制服を嫌がる事もありましたが、 これは新入園児なら誰にでも起こりうる事だと思います。
参観に行くと、先生の話をきかずよそを向いてる事もありますが、
補助の先生がフォローしてくれて一緒に話を聞いています。
塗りたくりや素材遊び参観の時には何をしたらよいかわからず、隅にいましたが、 担任の先生や他のクラスの先生もこまめに目を配ってくれて遊びに誘ってくれていました。 また同じクラスの子が、我が子と遊ぶ姿も見られました。
入園前は「パン、ぎゅうにゅう、きゅうきゅうしゃ、弟の名前」しか言わなかったのが、単語が増え二語文も出てきました。
(これはお喋りの上手な子に囲まれた生活だったからだと思います。)
幼稚園で歌ってる歌も家で宇宙語でたくさん歌ってくれます。
これを市役所は「幼稚園でやっていけてない」ととるのかもしれません。 実際、集団から遅れてフォローされてる姿をよく見ますし、 HPにはみんなが歌ってるのに、我が子はピアノを弾いてる先生の膝の上にいる写真も公開されていました(笑)
だけど、私はこれで充分だと思いますし、 「やっぱり知的障害児の施設にいてれおくべきだった」との思いは一切ありません。
もちろん、施設には施設の良さがあるでしょう、
でも「幼稚園は難しい」の言葉から連想される姿(我が子が幼稚園に馴染めない)は千里敬愛幼稚園では見られないのです。
せめて「小学校受験を考えるような子がいく幼稚園は難しい」とか、 「複数担任のいる幼稚園でないと難しい」だったら市役所に対するイメージも変わっていたんでしょうけどね。
長々とすみません。
でも今現在も市役所の対応に悩まれている2才児の親御さんがたくさんいると思ったらついついメールしてしまいました。
誰かの参考になったら嬉しいです。(2016/6/21)
■次の方は2020年3月の卒園児のお母さんから卒園後にいただいたメールです。
無事に卒園証書をいただくことができ、なんとも言葉に言い表すことができないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。
賞状を頂いたりしても、正直ただの紙にしか思えなかったのに、見るたびに感慨深く、これほど重みを感じる経験は初めてです。
息子は、幼稚園は無理だと言われていました。
息子が2歳4か月の頃、職場の託児施設の保育士さんから言葉の遅れや集中力のなさ、偏ったこだわりを指摘されました。
言葉の遅れは自覚していましたが、それ以外は年齢的なものとしか思えず転々…。
それでも育児のプロが違和感を感じるならと発達検査をうけると、発達障害のグレーゾーンとの診断。
お医者様のお話では自閉症でないのは明らかだが、本人が生きにくさを感じれば発達障害という診断になるし、感じなければ個性の範囲だと。
当時、大阪市内に住んでおりましたが、吹田市の『バンビ親子教室』のようなグレーゾーンの子の受け入れ先がなく、療育手帳がなければ全て自腹で民間の療育を受けるしかありません。療育手帳があれば無料で受けられるものも、無い人は1時間で3千円~5千円くらいかかると言われました。
市役所の相談員の方には、「幼稚園は無理だから、保育園の障害児枠で申し込んではどうか」と言われ、この子の何を見てそのように言っているのか怒りを感じるとともに、目の前が真っ暗になりました。療育手帳は出してくれないのに、扱いだけは障害児なのです。
そんなとき、ネットでたどり着いたのが、園長先生の『障害児と健常児』のページでした。
どれだけ心が勇気づけられたか分かりません。湧き上がってくる希望が涙になって溢れてくるようでした。
それから、ひょんなことからあれよあれよと吹田へ転居することが決まり、バンビ親子教室でお世話になりました。そこでもやはり「幼稚園は厳しいかも」と言われ発達支援枠で保育園に入れることが息子のためであるかのように言われ。
でも、発達支援枠は各保育園に1枠づつしかなく吹田での受け入れは13人のみ。普通枠は正社員ですら落ちる状態で、専業主婦なら確実に無理と保健士さんに言われました。発達支援枠を進める割に受け入れてもらえるのかは不確かで、大阪市での状況もあり、どこからも息子の存在を爪弾きにされているように感じていました。
そんな中、保育園が無理なら幼稚園でも受け入れてもらえるのかと近隣の幼稚園を調べていたときに、またしても千里敬愛幼稚園のページにたどり着きました。(東北の人間なので恥ずかしながら土地勘がなく、最初に園長先生の手記を拝読したときには吹田と聞いてもどこにあるのかも分からない状態でした)
不思議なご縁を感じ、入園させていただきたい気持ちでいっぱいでしたが、やはり保育園のほうが良いのかもと迷いもありました。散々市役所で言われた通り、無理に幼稚園に入れても先生やお友達に迷惑をかけてしまったり、息子自身も傷ついてしまうかもと不安があったからです。
でも特別相談の日、主任の先生が息子とお話したり遊んだりしてくださり、抱っこして熱帯魚を見せに行ったりもしてくれました。息子は恥ずかしそうにはにかみながら、それでもニコニコと嬉しそうに楽しそうに抱っこしてもらっていました。主任の先生はそんな息子を見ながら「お母さん、ぜひうちの幼稚園に来てください」とおっしゃってくださったのです。
初めて息子を受け入れてくれる居場所ができたような気がして、嬉しくてほっとして、涙をこらえるのに必死でした。
入園時には、やっと3語文を話せるか?という状態でしたが、5月ごろにはビックリするほど言葉が増え、年少の秋の発達検査では、言葉の遅れも無くなっていて、他に問題も無くもう定期検査もしなくていいと言われました。
子供の将来について心配するのはどの親でも同じだと思いますが、本当は違うのに「障害児」のレッテルを貼られ、行き場のない思いをされている方が今日もいると思うと心が痛みます。
いつかの「せっせっせ」に子供の能力は身に着けさせるものではなく、引き出すものだという内容が書かれてあったと思います。
息子はまさにこの状態で、正しく関わることの大切さ、私がうまく能力を引き出してあげられていなかった現実を痛感しました。
ありのままの息子を受け入れてくれたお友達や担任の先生にも恵まれ、感謝の気持ちしかありません。親子ともども救っていただきました。
お陰様で無事に卒園できたこと、小学校も普通学級に進学できること、有難い気持ちでいっぱいです。
長々ととりとめのない文になってしまい申し訳ありません。
千里敬愛幼稚園がなければ、私たち親子の運命は全く違ったものになってしまっていたかもしれません。この場をお借りして園長先生をはじめ先生方に心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。 (2020.3)
レッテル貼る部署と支援の部署が違う、正に縦割り行政によって苦しんでおられる親御さんも多くおられると推測できます。
「本人が生きにくさを感じれば発達障害という診断になるし、感じなければ個性の範囲」のお医者さんの姿勢が保健所に少しでもあれば、「レッテル貼り」にも少しは変わるはずです。実際、このお子さんのように幼稚園生活を通して、「普通」の子どもとして「普通学級」に入学されるのは決して特別なことではありません。